昨日、中日ドラゴンズの岩瀬が最多登板記録を達成した。5、6年くらい前までは、最後に岩瀬が出てくる試合は殆どが勝ち試合であった。そして試合終了後、ベンチ前で出迎える先発ピッチャーに、ウィニングボールを渡すところを見るのが好きであった・・。しかし、2013年くらいからは、なかなかふるわず、当時野球中継を見ていた父が、「あかんなあ・・」とぼやいていたが、球場でも、また日本中(愛知県中)でそういう声が上がっていたに違いない。岩瀬もさぞかし大変だったと思うし、テレビ越しに岩瀬の気持ちの面の大変さが伝わって来るような映像も目にした。
中日新聞では一昨日(最多登板タイ記録を達成した試合の翌日)も今日も、一面に岩瀬のガッツポーズの写真が掲載されており、スポーツ欄には岩瀬の特集が組まれていた。昨日も今日も、テレビのニュースのスポーツコーナーでは、岩瀬の登板試合や会見のようすが流れた。本当によかったと思う。
そこで印象に残ったのは、毎日岩瀬が100個ものルーチンをこなすということだった。おそらくそこまで徹底して自分を管理することで、自信を維持していたのだろう。また、一番心に残っている試合は、と聞かれて、1999年の初登板の試合をあげた。アウトひとつ取るのがこんなに大変だということがわかった試合だったと。岩瀬は、その気持ちを今もずっと持ち続けていると言った。
さて、私の初登板、というか、初めてのクライエントは、Sさんという80代の目の見えない女性だった。当時勤務していた病院の療養病棟に入院されていた方だった。依頼をもらったときには、初めての依頼ということでとても嬉しかった。カルテにはかなり気が強く、家族ともあまりうまく行っていないようす・・と書かれていたが、私が話したSさんは、礼儀正しくにこにこした、かわいらしいおばあちゃんだった。お花が好きな方だったので、花の話をした。
Sさんに話を聴いたのは2回だけだったが、思い出に残っていることが2つある。ひとつは最後に話を聴いたあとで、「あなたきっと優しいお顔の方ね。声を聴いていればわかるもの」とおっしゃってくれたこと。もうひとつは、あるとき、話をお聴きした後か、その前か、記憶は定かではないが、息子さんが病棟の廊下を追いかけてきた。そして、「おふくろが、あんなに笑っている・・僕も嬉しくって・・本当にありがとうございます」とおっしゃったことだった。カルテに書かれていた、「家族仲があまりうまくいっていない」という一文が一瞬頭をよぎったが、私もお礼を言われるのは初めてだったので、とても嬉しかった。
面接がうまく行くとか行かないとか判断する前に、Sさんは突然亡くなってしまった。そのときできることをしないと、次には会えるかどうかわからない、そう思った。そういえば、以前より繰り返し師に指導いただくことがある。「人にはやさしくしなさい」。人にやさしくする。Sさんとの面接を振り返ってみて改めて、自分がこれからは、特にこのことをこころがけていきたいと思った。
岩瀬の950試合登板を機に、自分も初心に帰って思ったことを書いてみた。今日の中日新聞で、山本マサ(元中日ドラゴンズのピッチャー、50歳まで現役を続けた)も言っていた。岩瀬には引き際など気にせずに、かっこいい終わり方など気にせずに、できるところまで続けてほしいと思う。