愛には分別が必要だと思う

愛について書こうと思う。

愛とひとくちに言ってもいろいろある。親子愛、きょうだい愛、友達関係、師弟関係、異性との間柄、神への愛・・等他にもいろいろある。愛が生産的であり得るには、なにが必要なのでしょうか。

ひとつには、そこに分別が含まれていることだと思う。人を生産的に愛したいのなら、自分が愛と呼んでいるものの成り立ちを、できるだけ明確にしていくことが必要だと思う。

幼少期から、愛に関するどんな歴史があったのか、自分がどの時期に、どういう愛に憧れ、必要としたのか。その背景には何があったのか。それは本来あるべき姿の愛と、どこが異なっていたのか。今の自分の愛の在り方にどのような影響を及ぼしているのか。過去のできごとをひとつひとつ思い出して、何故あのような形になったのか、あの時の関係は何だったのか、理解することだと思う。その中に埋もれた感情、沸き起こった感情、繰り返される人間関係、そういうものを明らかにすることだと思う。

そのような分別、自分が愛と呼んでいるものの中に何が含まれているのかがわかって初めて、人は誰かを本当の意味で愛することができると思う。人は人生で、ひとりでいいので、本当に愛されることができれば、その人のことを本当に愛することができれば、それが尊いのだろうと思う。その体験はおそらく他に般化していくと思うし、それこそが人間の安心感につながると私は思っている。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。