スイミングのおもいで

前回のブログの記事に書きましたが、小学校高学年でスイミングの選手コースに通うことになった。厳しくつらい思い出もあった反面、楽しいこともあって、それは友達が何人かできたことだった。

今思い出すのは、同じ級にいた少し年下の知立駅近くに住んでいたSちゃんという女の子で、家が医院か何かだった。その子はその子の姉と一緒に通っていて、頭が良くてかなり口の立つ、ませた女の子だったが、その子の姉の方がもっと口が立った。あとは、ひとつ年下のRちゃんという女の子で、その子の家は刈谷の中心街で飲食店をしていた。会った当初は、思ったことをはっきり言う、男の子っぽい、気の強そうな子で、苦手な感じがしたものだが、話をするうちに仲良くなり、皆でその子の家にお好み焼きを食べに行ったこともあった。

私は当時、家の近所に住む幼馴染Mと一緒にスイミングに通っていたのですが、その子は泳ぎが速く、私は落ちこぼれたので級が違ってしまい、スクールでは一緒にいられなかった。それで同じ級で一番仲良くなったのは、Aちゃんという刈谷の南部から通っていた子だった。Aちゃんは女の子らしく優しい子で、Aちゃんといるとほっとした。一緒にロッカーで着替えたり、どちらかが早く来ていると着替え終わってもロッカーで待っていて、一緒にプールまで出て行ったことなどを思い出す。

さて、小学校卒業と同時に、スイミングも卒業することになったが、記念に今日は知立駅からいつものスクールバスには乗らず、スイミングスクールまで歩いていこう、という話になった。バスで10分くらいだから、急げば6時半からの練習に間に合うよねと。それで幼馴染Mと他にも何人かいた気がしますが、歩いてスイミングに向かうことになった。季節は春まだ浅く、6時の時点では空は薄暗くなり始めていた。

が、完全に読みが甘かった。バスで10分ということは、歩けば1時間弱はかかる。世の中の道路も、小学生が走るのを第一の目的に作られてはいない。バスで行けば155線をびゅーんと豊田方面に行って左折すれば到着・・のはずが、その通り歩いていくとスイミングスクールの灯は遠ざかった。あわてて道路から田んぼに下りて・・などとやっている頃にはあたりは真っ暗になった。へとへとになってスイミングについたのは、練習が始まった少し後くらいだった。あわてて着替えてプールに出て練習に加わった。

他には、夏休みにコーチが皆をナガシマのプールに連れて言ってくれたり(この時に皆の水着がいつもの競泳用でなくて、かわいいのを着ていたのが新鮮で面白かった)、大会に連れて行ってもらって、そこで皆でお昼ご飯を食べていたときの楽しい雰囲気も思い出す。結局私は、中学も大学も水泳部で、社会人になってからもマスターズの大会に出ていたのですが、友達との楽しい思い出もあったから、水泳を続けたのだろうと思う。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。