メイヤー先生のおもいで

大学時代には、水泳部で毎日泳いだり、キャンパス内外で仲の良い友達と過ごしたり、狭い世界ながらもいろんなことを経験した。今日は私が所属していた学部でお世話になった先生のことを書こうと思う。私が所属していたのは、名古屋にある南山大学の文学部英語学英文学科でした。いまはその名のセクションはもうない。

70人に満たない人数の学科でしたが、そのほとんどが女子でした。入学するとクラスが4つにわかれて、それぞれに担任の先生がつきました。それで1年生のときの担任が、メイヤー先生でした。穏やかそうなアメリカ人の白髪の紳士で、カトリックの神父様だった。

当時メイヤー先生が学科長をしておられ、私たち学生の英語力をアップさせることに熱心だったのでしょう、1年と2年の時には、週に3回ずつ、会話とリスニングの授業があり、宿題がたっぷりでました。週の半分は朝5時に起きて予習と宿題をこなしてから学校に行く日々でした。大学受験の時期を除けば、大学1年2年が人生で一番勉強した時期だと思います。英文タイプの授業もあり、プログラムされた課題をこなすために端末に向かって皆で一生懸命タイプの練習をしていたのも思い出します。勉強というより訓練を受けているような感じもしました。

メイヤー先生には厳しい一面もあり、半期に一度の面談(学業に限らず、学校生活全般の指導が入る)では、厳しい指導を受けて涙する学生もいました。水泳部の一個上の先輩は、部活動の参加について指導が入ったと言っていました(その方は部活に熱心なあまりに単位をいくつか落とした)。ちなみに私は、TOEFLの点数のことで何かフォローが入ったのと、1年の前期に一般教養の政治学の試験を落としたのですが、そのことについては「これは(前期は落とす先生ということで周知されていた)しょうがない」というようなことを笑顔でおっしゃったのを覚えています。しかし目は笑っていませんでした。思えばメイヤー先生はいつもにこやかでしたが、目は笑っていませんでした。そして、学生は誰一人として、メイヤー先生が日本語を話しているのをきいたことがありませんでした。「メイヤーは日本語が話せないんだって」と、学生の間ではそういうことになっていました。

しかしある日、同級生が病気か怪我か何かで学校をしばらく休まないといけなかった時がありました。そのときに私の友達の友達・・くらい伝えで聞いた話ですが、その同級生が休んでいる間、メイヤー先生と何かの必要で電話で話したときに、「週明け」というこなれた日本語を使ったということでした。しかし、後にも先にもメイヤー先生が日本語を使ったというのを学部内できいたのはこの時だけです。

メイヤー先生は会話の授業以外にも、アメリカ文学の授業を持っていて、そこで「第三の男」を読みました。難しすぎて、筋がわからず、結論は結局先生が授業で説明してくれて皆でそういうことだったのかとわかって喜んだ覚えがあります。1年生の時のクリスマスには授業で一緒にクリスマスソングを歌いました。メイヤー先生のファララ・・という普段よりいくぶん陽気な歌声を今も思い出せます。

そのメイヤー先生が、去年の12月に亡くなったということを、先日届いた同窓会報で知りました。早速インターネットで調べると、カトリックの聖職者の方々の功績を記したサイトで先生の名を見ることができました。先生は1938年にコロンビアで3人兄弟の2番目に生まれ、カトリックの学校に入学し20歳で信仰を誓われ、その後英文学も修められ、アメリカの大学で数年教えられた後宣教のために日本に渡り、1974年に南山大学で教え出したとのことです。去年の春までメイヤー先生は45年間も日本にいたとのことでした。そして、体調上の理由で去年の春にアメリカに帰ったとのことでした。最期までずっと日本に帰ることを希んでいたと書いてありました。

今回、カトリックのサイトを見ていて、メイヤー先生が書かれた論文等についても紹介されていた。アメリカ文学の関係の論文以外にも、日本の自然を描写した俳句のような短い詩を書いて出版したり、陶芸が趣味でそれについて文章にされカトリックの機関の書籍に寄せられたこともあったようだ。メイヤー先生の功績を記した文章の中の、先生がどう生きたか紹介する部分の最後は、以下の文章で締めくくられていた。

He once wrote “For me, writing is a way of consolidating and focusing on the grandeurs and diversity of God’s creation.”

(彼はかつてこう言ったことがある、「私にとって、文章を書くことは、神の創造物の偉大さや多様性について統合し、集束させることです」

私はゼミ生ではなかったので、直接の教え子ではないけれど、卒業して20年以上経った今でも、親しみやすく控えめで礼儀正しく丁寧なようすを思い出す。ご冥福をお祈りするとともに、メイヤー先生が居たキャンパス内で学生時代を過ごせたことに感謝したいと思う。

参考・引用: “Society of the Divine World”  http://www.divineword.org/obituaries/davidmayer/

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。