(2016.5.24に生徒指導や相談業務をしておられる西三河の高校の先生方に対して「思春期の子どもへの理解と対応」という題で講話をさせていただく機会がありました。その内容の中から一部を掲載させていただきます)
カウンセラーの仕事をしていると、人の秘密を聴くことがけっこうあります。ここにおられる教員の皆さんも似たような立場におられるのではないでしょうか。生徒から秘密を打ち明けられる、とか。
生徒が何か秘密を打ち明けてきたときには、それがこころの面での深い傷の一端であることが少なくないと思います。その背景にどんなドラマが広がっているのか。そこに思いをはせることが必要だと思います。
例えば・・子どもが何か罪を犯したとする。皆さんにそれを打ち明けてきたらどうしますか。・・大人がそのときどう対応するかは、その後の子どもの人生に与える影響は大きいと思います。
ある小学生の子どもは自分の犯した罪について誰にも言えずこころの奥にしまいこむことになった。実際はそのときにことの重大さに気づいていた大人はいたが、見て見ぬふり、うやむやになってしまっていた。・・・何十年か後、その子は・・職場で人間関係がうまく行かないかもしれない・・または・・原因不明の発作に悩まされることになるかもしれない・・。これは今私が思いついたファンタジーで、実際あった話ではないですが、このようなことはこの世でたくさん起こっていると感じます。
なぜこんな話をしたか。そのとき、誰か大人がひとりでも、その子のしたことの意味を一緒に考えて一緒に傷ついて・・なんでこんなことになったのかと怒って泣いて・・そういう人がひとりでもいたら、何十年か後に何かがおかしくなるようなことはなくなるかもしれない。私はそう思うからです。
私たちが子どもに秘密を打ち明けられるということは、そういうことだと思っています。こういうことは私だけでなく、カウンセリング的なことをする立場にある皆さんにも起こり得ることだと思います。立場を越えた関わりがカウンセリングには求められています。