村上春樹さんの『雑文集』(新潮社)を読んでいたら、「神話的世界、内的な世界には端っこがある」「あなたはそういう場所に行ってみたいと思いませんか」という文章があった。こういう考えの元に生まれたのが小説、『世界の終わりとハードボイルドワーンダーランド』ということらしいです。
ユングの著書で『転移の心理学』というものがある。転移とは心理療法に関する用語で、一般的には、現在の人間関係に、過去の重要な人物との関係が持ち込まれること、例えば心理療法のセラピストとの間に父親との関係が再現される・・等を指します。『転移の心理学』で描かれているのは、転移が起こったときに、人の心の中で何が起こってるのか。それを錬金術の考え方で説明している。その中に次のような文章が書かれている。
「自分自身の幻想から愚弄されることを好まない人は、魅了するものすべてを綿密に分析することによって自分の人格の一部を第五元素(←錬金術の用語。鉱物から抽出した、人間のために役立てるための物質のこと)として引き出し、またわれわれが人生の途上で無数の変装した自分自身に幾度となく出会う、ということにしだいに気づくようになる」「この真理はもちろん、同胞が個々の還元しえない現実を持っていることを器質的に信じている人だけに役立つ真理である」
他人の中にある、自分にとって受け入れられないと感じる部分、それに直面することで、ときに人は悩みや苦しみを経験する。しかし実は、他人の中に見える、自分にとって受け入れられないと感じる部分は、自分の中にも存在しており、その時感じる苦しみは、実は自分の内面の葛藤から来ている。そして、その葛藤に耐えて何らかの折り合いがついたときに、人にとって役立つ何かが生まれる。ユングだったら転移に伴う心の動きはこう説明すると思われますが、そして、転移にともなうこの現象は心理療法の中でも起こることですが、ユングはこの流れを錬金術に比べて論じたわけです。
『転移の心理学』は師匠の愛読書であった。指導を受けた中で師匠がいろいろな形で示されたことのひとつが、自分にとって混乱を招いたり、圧倒されたり、かき乱されたり・・そのような対象に出会ったときに、自分がどのような態度を取るかだった。今それを思い起こしてみるならば、そのひとつが、謙虚さだったように私には思い起される。
さて、河合先生も何かの本で言っていたと思いますが、いくら探求しても、人の心は、ほとんどわからないらしい。この記事の書き初めの話に戻りますが、どこかに村上春樹さんの言う神話的世界の端っこがあるなら、私はその景色を見てみたいと思う。最後に再び、村上春樹さんの「雑文集」より次の言葉を引用たい。「我々は世界がどれほどタフなものかを知っている。しかしそれと同時に、世界は素晴らしく優しくもなりうることも承知している」。