まさかのときに

人間生きているとびっくりすることが起こるものだ。

一寸先は闇である。

そして今までお話をお聴きした方々の多くはそのような方たちである。

突然夫から離婚を言い渡された。

突然子供を失った。

家族が不治の病にかかった。

人は誰しもそうなのではないか。このまさかがなかった人などいないのではないか。

このまさかのとき、人は頭の中が真っ白になる。

食べ物の味がしなくなったりする。

呆然としてこの先の方向性を失う。

それまで支えにしていたものを失うからだ。

そのようなときはどうすればいいのか。

生きて行くしかない。

呆然となった中でも、何とか生きて行くしかない。

その時何が残るのか。

それがはっきりしている人は、なんとかなるだろう。

しかし、それがない人はどうするのか。

自分のすべてだと思っていたようなものを失った人は。

恋人、家族、仕事・・そういうものを突然失うような目にあってしまった人は。

それに代わるものを見つけるしかないのか。

でも代わるものなど見つからないだろう。

だったらどうすればいいか。

それが存在した意味。それを突き詰めて考えるしかない。

それが存在したのはいったい何のためだったのか。

それをつきつめて考えれば、それを失った自分の生き方も見えてくるのではないか。

それを失ってしまったことは変えられない事実だ。

その中でこれから自分はどう生きるか。

どうやって世の中と関わっていくのか。

突き詰めて考えるとわかってくることが必ずあると思う。

今の自分の中に残っているものは何なのか。

残っているものは必ずあるはずだ。そこからまた世の中と関わっていくしかない。関わっていけばよい。

ところで、人間はいつ上り坂下り坂まさかのまさかが起こるかわからない。誰でも一寸先は闇であることは言うまでもない。

だから、日ごろからまさかのときに自分に何が残るか考えておくのも悪くないのではないかと思う。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。