こころのありか

箱庭療法をしていると、滝を置く方がけっこういる。私も自分で箱庭を作っていて、滝を置くことがある。滝が出てきたら、その方の心が動いているのかもしれないなと感じる。滝には落差があるし、水の流れもある。前には滝つぼや川が流れているかもしれない。様様なダイナミズムを想像することができる。(こちらがあまり想像しすぎるのは問題ですが・・)。

箱庭から想像できることも物語として成立しており、これを人と共有することが大切なんだろうと思う。この前の記事にも書きましたが、作品を物語としてとらえ人と共有して話し合うことで視野に新たな広がりが生まれ、心理療法の支えとなるような新たな考えを得ることもできる。

一方で、セラピストが自分の中の勘を大切にする必要もあると思う。滝と言えば・・・落差の象徴。上と下。理想と現実。原因と結果・・。いろいろ自分の中に思い浮かぶ。そこにひとつの物語と生命力が生まれる。私の滝とクライエントの滝は異なると思うが、「滝」が私にひとつの物語を思い起こさせた、私のその心の動きは、私がクライエントに相対するに、自信のようなものを与える。

考えてみると、今までやみくもに箱庭療法を用いてきた気がする。やみくもに・・というよりは、人に教えられたままの知識を鵜呑みにして、箱庭療法を取り入れてきた。年の末、区切りが良いので今までの、人に教えられたままの知識だけに頼った箱庭療法に対する態度はこれでやめにしようと思う。というより知識も少ないしうろ覚えのところもあるので、しっかり学んでいく必要はある。要するに、これからは自分の心を使うことを意識して箱庭療法をとりいれていきたいと思う。

このようなことを考えていた折、箱庭療法で使うミニチュアを、消毒のためにせっせと拭いていたら小さな男の子のミニチュアの両足首のところが足元についている台座ごとぼっきり折れた。不吉・・というか、人の考えに従ってばかりの幼児のような歩みはもう止めないといけないという警告かもしれない・・などと、もしここで師匠に話したならば、「物を大切に扱わないからです」とクールでリアルな答えが返ってくることだろう。ミニチュアを大切に扱うのは教えられた基本中の基本であった。このように基本も忘れていることに気づきますが、基本と客観性、学ぶ姿勢は大切にしつつ、自分の心も使ってセラピーをしていくことは、手間はかかる反面楽しみなことでもある、そう思って来年の臨床に臨みたい。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。