私は物事を完璧にやりたいと思う方だと思う。この傾向は父譲りだ。
父にはそのような傾向があって、本人も自覚していた。だから、「仕事もギリギリまで手を付けないんだよな・・それで詰めが甘くなる」と言っていたことがあった。結果パフォーマンスはそれほど完璧にはならなかったということが言いたかったのだろうと思う。本人にはそれもわかっていたから、そういう言いかたをしたのだと思う。
頭で考えたパーフェクトに縛られて、身動きができなくなる。そういう人は珍しくないように思える。かくいう私もそのひとりです。時には自分で作り上げたパーフェクトのイメージに縛られて、自分だけでなく、他人のことも苦しくしたりする。しかし最近思う。パーフェクトとは、個人的なものであること、ときに形にならないものであること、あとは、人がいて初めて生まれるものかもしれないこと、すなわち、私と「あなた」にとってパーフェクトであることが大切なのではないかと思う。
この「あなた」の存在の確信。そして、「パーフェクト」とは自分ひとりで作るものではなくて、関わりの中で生まれるものだという感覚。
この体験を繰り返すことが、あるいは私が日ごろ、心理療法でおこなっていることかもしれないと思った。
・・・私とあなたとの間でパーフェクトと思えたならそれでいいのだ。