常識について考えることの必要性

来談されるご家族の方と話をしていると「本人とどう接したらいいのでしょう」と必ずきかれる。こちらがお伝えできるのはその時のご本人の状態であり、どう接するかはご家族と一緒に考えて行くことになる。

例えば躁うつ病という病気がある。何をしても絶好調という躁の状態と、何もしたくない誰にも会いたくないという鬱状態が交代で起こる病気だ。鬱のときのご本人の苦しさもさることながら、躁状態のときにはご家族のほうが大変になってくる。ご本人としては絶好調なのだが、周囲にとっては絶好調すぎて時に受け止めきれなくなってくる場合がある。

その時のご本人の状態については、こちらの見立てをきちんとお伝えするし、どう接したらいいのかも心理士として知っていることをお伝えする。しかし、病気どうこうより、家族として娘さんと、奥さんと、どう接したらいいのかまずは自分の責任の範囲で考えてみることも必要と思う。それは自分にとっての常識の範囲という言葉に置き換えられるところもあるかもしれない。

うつ病の息子、会社に行けないご主人。病気以前に今までどう接してきましたか。母親としての自分、妻としての自分はどうだったのか。自分にとって常識的なふるまいはどんなだったのか。そもそも常識とはなんなのか。考えを広げてみると解決策がみえてくる場合もあるのではないかと思う。答えはすぐにはみつからない思うので長い時間かけて一緒に考えて行くことになる。

上に書いたことはいちばんに私自身考える必要がある。ときどき「それは常識で考えてみてですね・・ヽ(゚◇゚ )ノ」と喉元まででかかる自分と向き合う必要がある。だいたい私が常識と言っていること自体ほんとうに常識なのか怪しい。常識でものが言いたくなるようですけど、いったい誰のための常識ですかと自分にいいたい。そしてどこから出てきた常識か。自分自身に問い続ける必要があると思っている。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。