私の誇り

過去に10年間、OLをしていたことがありました。12月のこの時期になると、その時代のことで、思い出すことがあります。

私は職員の教育をする部門に配属されていました。教育部門ということで、人前に立って働くものもあったけれど、毎年9月から12月にかけては、ひたすらパソコンに向かう仕事をしていました。それは、ある仕事に関わる大量のデータベースの修正でした。そのデータのメンテナンスは毎年必要で、単純作業だったけれど、職員の方の昇格にも間接的にではあったけれど関係するものだったので、絶対にミスは許されませんでした。集中力と根気が必要だったし、ものすごく神経を使う仕事でした。これをこの4か月はひたすら続けていました。

とにかく正確さが求められる仕事。目を皿のようにして、データを修正する日々。資料を作り上げて、それもミスは許されない。

正確に資料を完成させる。これだけを目標にした4か月・・・毎年、長くて苦しかった。でも、考えてみるといつも、同じグループにいた同僚が一部手伝ってくれました。できるできないではない。あの仕事はひとりでやるのはこころに悪いと思う。

あのころ、手伝ってくれた同僚に、こころからありがとうが言えただろうか。答えはNo.です。あのころは、自分でなんとかしてなんぼだと思っていました。人に手伝ってもらう意味などわかっていませんでした。

その会社は効率化効率化で今も、職員が生産性を上げて、利益を上げているようです。私も人事にいながら、人を減らされたり、仕事を増やされたりしながら、時間にもこころにも厳しい仕事をしていたと思います。しかし、私のいた部署には和があった。先輩から引き継いだ風土としてのもので、当時の私にはそのありがたみがわからなかった。機械みたいに、生産性をあげればいいと、それだけ考えて仕事をしていました。助け合いなど不要だと思っていました。助けてもらっていることもわからなかった。

退職時、後任の方にこの仕事を引き継いだ時に言ったことばがあります。「この仕事は私が10年間大事にして続けてきた仕事だから、よろしくお願いします」と。社員研修等人目につく派手な仕事に関してはそれほど誇りなど感じなかった。それらに比してこの仕事は人目につく仕事ではなかった。ひとりでもくもくと作業し続ける、地味な割には神経を使う。忍耐していた印象しかありませんでした。それでも唯一後任の方にほんとうの誇りを示せたのがこの仕事だったと思います。

私は耐えた。そして与えられた仕事を正確にやり抜いた。これがその会社を退職するにあたって示せた私のプライドだったと思う。苦しかったけど、この言葉が言えた分、あの仕事はやってよかったと思います。退職して10年位以上経った今でもそう思います。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。