ご先祖様になるということ

正月休みに、亡き祖父母の家があった場所に行ってきた。長野県の立科というところで、祖父母の家はまだ残っているが、去年の初めからは借り手がつき、人手に渡ってしまっている。が、立科には祖父母、伯父伯母、ご先祖様・・のお墓がそこにある。そこで、2年半ぶりにお墓まいりに行くことにした。

その前に佐久市にある春日温泉に行った。もちづき荘という国民宿舎があって、そこは私が小学生のときから何度か訪れたことがあった。祖父母と一緒に何度か泊まった思い出のある場所だ。

もちづき荘の支配人さんは、祖父の高校教師時代の教え子だったとのこともあり、祖父母はかなりお世話になったようだ。祖父の車を移動させるときに手伝ってくれたり、祖母の忘れ物を祖父母の家に届けてくれたこともあった。祖父母はだいたい同じ部屋に泊まっていて、私たちが一緒に泊まるときには、隣の部屋に泊まって、部屋を行き来してお茶を飲んだり喋ったりした。

もちづき荘にはその支配人さんがまだいた。祖父母は亡くなってしまっているし、祖父母の家は残っているとはいえ、人手に渡っているという意味では、もうないに等しい。だから、祖父母の家があった立科に近いこの地に、祖父母と過ごしたこの場所にまだ、祖父母の記憶を共有できる人がいるというのはありがたいことだと思った。でも、あの支配人さんもいつかは退職されていなくなると思う。祖父の教え子だったということは、もう60歳を過ぎているはずだ。もしあの支配人さんがいなくなって、建物だけになっても私はこの場所を懐かしいと思うのだろうか。

春日温泉に一泊してから、祖父母のお墓のある立科に行った。バスで行ったので徒歩で町中をめぐった。祖父母の住んでいた家は人手に渡っているので、外から眺めているだけだった。そこから子どものころおとずれた懐かしい場所を巡った。すると子どもの頃のいろんな思い出がよみがえった。

神社に行くのに近道して畑を抜けた道、神社の裏手の階段、いとこと乗ったシーソー、炭坑節と望月小唄の2曲だけがえんえんと流れる盆踊り会場、祖父がマジックショーをした(祖父は60歳から94歳までマジシャンだった)公民館、祖母のために作ろうとゼリーの元を買った農協、何の店かよくわからなかったほてい堂というお店、お盆に皆でぞろぞろ歩いたお墓に抜ける道、落ちそうになって伯父に助けられた池、渡れるのかこわごわスリル満点の橋、冬になるとバーコードみたいな模様になる浅間山・・・。

しかし、今回一番強く胸によみがえったのは、新幹線の佐久平の駅の、小さい喫茶スペースの思い出だった。佐久平駅は98年の長野オリンピック直前に作られたので、私の記憶の中では比較的新しい。そこには20年前も今もちょっとしたお土産のお店と小さな喫茶スペースしかない。佐久平駅ができてからはそこが、立科の祖父母の家に行く際の最寄りの駅になった。

さて、私には6年前に72歳で他界した伯父がいた。その伯父は、最後の15年くらいを3番目の奥さんを連れて立科の祖父母の家で暮らした。それまで、川崎でトラックの運転手をしていたが、退職をしたタイミングで戻ってきた。私はかねがね、その伯父と距離を感じていた。伯父姪の関係なんてそんなものかもしれない。それに、私がこどものころ、年に1度か2度会う伯父は、赤いシャツに白いスラックス、白いエナメル靴、パンチパーマ、サングラスと金のネックレスという風貌で、声が大きくちょっと怖かった。

佐久平駅の喫茶スペースは、立科の祖父母の家に行った帰りに送ってくれる伯父伯母、祖父母と一緒によくコーヒーを飲んだ場所だった。そのときには私は年齢だけはかなり大人になっていた。佐久平の駅は殺風景で何もない駅だな、ここがもっと気の利いた店だったらよかったのに・・当時の私はそれくらいしか考えられなかった。それに正直、普段接点がそれほどない伯父伯母と顔を合わせるのも、なんだかわずらわしいような気になることもあった。たぶんそういう私の気持ちは、顔に出ていたと思う。それでも伯父は変わらぬ笑顔で、別れ際には必ず「おう、理恵がんばれよ」と声をかけてくれた。

今回旅行は佐久平駅を基点にして動いたので、その駅の中の小さな喫茶スペースを目にすることが何回かあった。そのたび思った。あのとき伯父はどんな気持ちで笑っていたのだろう・・・そして姪のわたしにはわずかしかうかがい知れなかった伯父の人生を思った・・・そうしたら急に思い当たったことがあった。ご先祖様はこうして変わらずここにいたのだ、伯父は私にとってのご先祖様になったのだと。そういう気がしたのだった。

その後バスに乗って立科に行って、祖父母の墓参りをした。お線香をあげてお墓を後にするときに、こころの中で、あのころの伯父の、いつもの声がきこえた気がした。「おう、理恵がんばれよ」。それは祖父でもなく祖母でもなく伯父の声だった。そして、ご先祖様になるということはこういうことかと思った。私は生まれてはじめて、私も誰かのご先祖様になれたらいい。こころからそう思った。

小諸懐古園から見た浅間山

この記事を書いた人

アバター

加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。