先日、指を怪我した。しばらくしてもなかなか痛みが取れなかったので、近所の接骨院に行った。
接骨院に行ったはいいが、痛みを説明するのがとても難しかった。ある動作をするとき、親指をある方向にまげてある方向に力がかかると痛みが走る。接骨院の先生は「こうするとどう?」「こっちに曲げるとどう?」と詳しく聞いてくれるが、はじめはどれもピンと来なかった。私自身もどこが痛いのかよくわからなかったのだった。
2回目に行ったときも3回目に行ったときも、接骨院の先生は「これか?」「それともこうか?」と気長につきあってくれた。
そうしているうちに試行錯誤の上、やっと先生に伝わったのがこちらとしても実感できた瞬間があった。その後しばらく先生は「ああ~これかこれか~」と私の痛いところをおさえて指をふにゃふにゃと動かした。そのときまさに痛みに触れてもらっている気がした。(右手親指側副靭帯の損傷とのことだった)。
痛みを説明するのは思いのほか難しかった。伝わらないと自分が悪いような気になったりもした。わかってもらえないと孤独な感じになった。そして、わかってもらえるとほっとした。
さて、現在同じ町内で開業しているその接骨院の先生とは、私の従弟なのですが、子どもの頃も家が近く、年齢も近かったので、夏休みなど弟と共に家を行き来してよく遊んだ。子どもの頃から、何かちょっと困ったりしているといちはやく察して、声をかけてくれるような従弟だった。なので専門性もさることながら、うまいことこちらの痛みにたどり着くのは性分もあると思う。
接骨院を後にするときに、痛いところがわかってもらうのはほっとするものだね~と言うと、「あんたもお客さんには同じようにしてあげなよ、そうしたらもっとお客さん増えるよ」と従弟が言った。「治ったら、したいこともあるんだろ」とも。
・・・やはり、自然にこちらの痛みにたどり着いてしまう従弟だ。ちなみに親指に痛みがある今はものがしっかりつかめない。治ったらきちんとつかめるようになりたい。