父の死②

父の死からもうすぐ一か月経つ。だんだんいろんな実感がわいてくる。最近思うのは、父は最後苦しかったのではないかということだ。喀血して気道がふさがったわけだから、苦しくなかったわけがない・・。

そうすると、なぜ父はそんな思いをして死なないといけなかったのか。そればかりが毎日繰り返し頭に浮かんでくる。肺か気道の動脈に近い血管から出血して・・。ドクターからそれ以上の説明はなかった。なぜそんなことになったのか。直前「血痰が出る」といって父は看護師さんに訴えた。その後看護師さんが何かを取りにナースステーションに行った3分くらいの間のできごとだったというが、その看護師さんがちゃんと見てくれていたら助かったのではないか。内科の主治医のドクターが夕食で30分くらい外していて、主治医でないドクターしかいなかった時間帯だというが、少し時間がずれていたら適切な処置がなされていて助かったのではないか。2日前に外科のほうを受診してそのときに肺に癌とは異なる白い薄いカゲが広がっていたというが、そのときすでに何かの前兆があったとしたらそこで止められなかったのか。抗ガン剤から免疫に働きかける治療に切り替えたところだったが、その副作用ではなかったのか。昨年抗がん剤治療をしたときに、副作用で父はかなり苦しみ、体力、というより生命力を奪われた感があるが、あれが寿命を縮めたのではないか。家族はもっと父を支えるべきではなかったか。父はもっと主体的に闘病すべきでなかったか・・。

考え出したらキリがない。がこのようにして考えてみるなら、父がなぜ死んだかという問いは、父がどう生きたか、という問いに近づいて来るようにも思える。

それを私が考えるときには、私との関わりにおいて、どう生きたかというところで考えるしかないし、結局そこが問題になってくるように思える。

「私との関わりにおいて」というのは、ある面では(他との関わりにも共通するものがおそらく含まれているという意味で)普遍性を持ち、世界と父との関わりでもあったと思う。

こうして考えてみると、父の死というものは、父がどう生きたか、に限りなく近づいて、その2つは同じものとして完結するように、考えられなくもない。

・・とこんなふうにいくら頭で考えても結局、父の亡くなる直前、最後の姿、そのとき父は苦しかったのではないかという思いが頭から消えることはない。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。