父のスタイル

父の葬式が終わってから、家族で通夜葬儀の受付表のお名前を拝見していたら懐かしい名前がたくさんあった。サラリーマン時代に父の育てた方は殆どいらっしゃっていたと思う。父は最期の半年くらいには折に触れ「自分は仕事で何人も人を育てられたからよかった」と話していた。通夜葬儀には、そのほとんどの方たちが来てくれた。

お名前を拝見しながらああ、この方については父はこう言っていたね、と家族で思い出したのは、どちらかというと世話のかかる(といったら失礼だが)メンバーの方たちのことだった。何回も指定駐車場以外に駐車して違反キップをきられた若い方と一緒に門衛さんのところに謝りに行った話、夜中まで居残っている方に付き合って残っていたが、やることがなくなったのでフロア中の蛍光灯を消して回っていたという話・・。家族で思い出したのは、そういう方の話ばかりだった・・。しょうがないやつだと言いながら少し嬉しそうに話す父の表情。

私も父に育てられた(子どもとして)ひとりですが、私はといえば、最期、かなりダメっぷりを発揮して父を困らせた。父はダメな娘に付き合って話をするために最後まで粘った・・というのは都合が良すぎる解釈かもしれない。ただ、父との最後の会話はそれほど特別なものではなかったが、これからの私の人生を貫くような話も確かにあった。それを考えるとそう考えずにはいられないのだった。

ダメな自分とダメな娘。なにもできないが、心配して一緒になっておろおろして最期まで粘ってただ傍にいた。それが父のスタイルだったのではないかと思う。

私のきょうだいや会社で父に育てられた(と父が言っている)皆さんは、どう思われるだろうか。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。