先日夏目漱石の「明暗」を読み終えた。漱石の死で中断した未完の大作です。読みながら、作品ごとになんと作風が変わる作家かと感じた。中でも、最後の方に出て来る小林という登場人物が突如持ち出して主人公に渡した手紙の内容が印象に残った。誰が書いたのか、どこから来た手紙なのかわからない。しかし読み手のこころに不可思議なものを残す何かがそこにある・・。
さて、前の記事にも書きましたが、学会参加の合間に空き時間があったので、鎌倉観光や東京の赤坂にお芝居を見に行くことにした。今回はその、東京に行ったときのことを書こうと思う。
赤坂でのお芝居は午後からだったのですが、朝早めに横浜のホテルを出て電車に乗った。時間はたっぷりあったのでどこか一か所くらい観光してから赤坂に向かうことにして、電車に乗ってから路線図を見ると、明治神宮前、渋谷・・等観光できそうな駅名が並んでいた。その先をたどると雑司ヶ谷という駅名もあった。確か夏目漱石の小説「こころ」に出てきたような気がする。そして漱石のお墓もそこにあった気がする・・。そこでその日の午前は雑司ヶ谷の漱石の墓地に行くことに決めた。
雑司ヶ谷の駅周辺は住宅もあり、マンションもあり、しかしオフィスビルや店舗などはあまり見当たらなかった。駅の出口を間違えてぐるりと回って墓地まで歩いて30分くらいかかった(帰りは10分くらいで駅まで帰れた)。墓地に着くと管理棟のような建物の前に職員さんがいて、夏目漱石のお墓の場所と、行き方を教えてくれた。霊園は大きく、お墓は区画に分かれており、1-14等番地が振ってある。途中に花屋もあるらしい。そこで少し花を買えたらいいなと思いながら歩いた。
歩いて行くと花屋があったが、表で売っていたパッケージされた仏花は高価であった。迷っていると、お店の人にどこのお墓に参るつもりかときかれ、漱石のお墓に参る旨伝えると、店の奥から一対のピンクのカンパニュラを出してきてくれたので、それを買った。たぶん他にも花がいっぱいだと思いますよと、水の入った桶とひしゃくも貸してくれた。そこから少し歩いたらすぐに漱石のお墓の場所にたどり着いた。お墓は思ったよりこじんまりとしており、大き目な墓石がひとつ、そのわきに小さめの墓石がひとつあり、その敷地が低い石で囲われて仕切られていた。大き目の墓石には漱石と奥さんの鏡子さんの名前が彫ってあった。裏側には2人の名前ともうひとり、誕生してすぐに亡くなった五女のひな子さんの名前が彫ってあった。ひなこさんと漱石の名前は同時代くらいに彫られた感じだったが、鏡子さんの名前はそれに比べてかなり新しく感じた。
花屋さんの言ったとおり、漱石のお墓には私以外にも、カーネーション、菊等、少なくとも3組くらい違った花が活けられていた。元々あったお花の、少し根元の方の悪くなった葉っぱを取って、水をたっぷり注いで自分が持ってきた花を活けた。墓石にも水を注いだ。日にちが経って悪くなった花を除いて入り口付近に寄せて置いた。ひととおりお参りが済んでからその敷地を出るとき、狭い出入り口の地面に白いチョウがとまって、そこを通るのに足を止めて待たないといけなかった、それが印象に残った。
帰り際お花屋さんにお礼を言って桶とひしゃくを返し、雑司ヶ谷駅に戻ってから赤坂に向かい、その日の午後はお芝居を見た。
学会が終わって家に帰ってから、カンパニュラの花ことばを調べたら、「誠実」とあった。誠実とはなんでしょう。人の過去は書き換えられないし、人間が自分の中で変えられないことは多いと今は思う。結局自分を客観的に見ることが、この世にきちんと存在することかとも思う。もちろん成長する部分も、人間の中にはあるとは思いますが。
過去にはいろいろあった。そしてこれからも・・。それらは、不可思議な状態で据え置かれているものも多い。それらをその都度できる限り真摯に問い、その意味を明確にすることが、今の私には「誠実」ということのような気がしている。