昨日、名古屋で終末期の患者さんの事例を検討する研究会に参加した。知り合いの心理士さんが主宰する研究会で年に3回ほど開催され、毎回興味深い事例が提示されてとても勉強になる。昨日の会は、自分の中の死ということについて考える機会となったので、それを書こうと思う。
私は2011年ごろ、自分が死ぬ夢を繰り返し見た。ときを同じくして、心理士になった。
心理士になったのは死ぬほどの覚悟でなった。心理士になっていなかったら、どうにかなっていた。両方解釈としては可能だと思う。
そして、私は今年、開業心理士になった。
開業なんてすごいね。開業なんてしてやっていけるの。
よく言われますが、別にすごくない。やむにやまれずそうなっただけだ。
私がしたかったのは開業ではない。私がしたいのは、臨床の先生に教えてもらったことを、これから生かしていくことだ。教えてもらったというよりは、この7年半、これは指導を受けた年数ですが、教えてもらったとか指導を受けたというよりは、その間自分が生きたこと、それをこれから実現していくことだ。その場所が必要なだけだった。
それがやれないと私は、死んでも死にきれん。
以上が今の私に実感できる自分の中の死というものだ。昨日研究会で発表を聞きながらそう思った。