思春期のときのこと

前に my story という題でブログの記事を書いたことがあった。それを最近読み返した。そうしたら、自分が思春期のときのことが抜けていることに気づいた。今日は自分が思春期にどう過ごしたのか、その頃に戻って書いてみようと思う。

小学校4年生のときに突然、自分を意識するようになった。急に勉強ができるようになって、走るのも得意になった。いろんなことに挑戦したくなった。人からどう見られているのか、それを基準に行動するようになった。その「あるべき」は父母に褒められることが大事だった。または、クラスで人気の出るような、活発な女の子であることが大事だったと思う。

5年生は一転、誰と仲良くしていいのかわからなくなった。長い放課にには誰も一緒にいる人がいなくて、ひとりで校庭で歩き回っていた。何が苦痛だったかと言ったら、ひとりで居ることではなくて、独りを認めてくれなかった周囲の雰囲気だった。

6年生の時の担任の先生は、積極的でもない、反応も薄い私のことが気に入らなかったのだと思う、していることは変わらないのに、成績ががたっと落ちた。そういう大人もいるのだな、と始めて思った。

中学は楽しかった。友達もいた。しかし、中学2年だけはトーンががらっと変わった。暗くて思い通りにならない1年だった。周囲が変わったのか自分が変わったのかわからなかった。友達はいたけれど、よそよそしく、私はひとりになったと思った。今まで一緒に笑って遊んでいた男の子たちも、得体のしれない感じになって、戸惑った。中学時代は両親仲がよくなく、家の中は殺伐としていて、へんてこなことがいろいろ起こった。

高校は地元の進学校に入った。1年生は中学から持ち上がりの友達もいて、楽しくすごした。このころから親を親とも思わない、そういう態度はあった。心の中で親を馬鹿にしていた。家事しかできない母親と、仕事のことしかわからない父親。家族とは物理的には一緒にいても、こころの交流はなく、ひたすら自分の世界に閉じこもっていたと思う。

高校2年にあがると、初めて知らない人ばかりのクラスになった。6月くらいまで、友達が誰もできなかった。自分にふさわしい友達が、どういう人なのかわからなかった。ふさわしいとは?そもそも友達とは何なのか?友達はふさわしいで選ぶのか?私が一緒にいたい人はどういう人なのか。あるべき自分、そうしたい自分、どっちがいいのか。ひとりでいろいろ考えた。修学旅行が終わったころにやっと友達になったのは、控えめで芯のある2人だった。そのうちの1人とはいまだに付き合いがあって、ときどき会って話をする。

高校3年で生まれて初めて失恋した。このときには、相手を失ったことより、自分がふられたことに傷ついている、そのことに呆然とした。いったい、私は、誰のことが好きだったんだろうと思った。

という感じで、大学に入学する。この後のことは以前のブログの記事に書いた。

この時期(思春期)のことはまた、ときどき書きたいと思う。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。