役に立つことと生きること

私は新卒で入社して会社に人事部の教育部門に配属され、女子社員教育企画運営、管理監督職教育の事務サポート、海外研修生の入国と滞在中のサポート等担当しており、退職時には私の後任は2.5人いた。

それでも私は毎年年に2回実施される上司との目標設定面談で「会社の役に立っていないように思える」と言っていた。上司は「そんなことないよ、役に立ってくれている。ありがとう」と言った。実際正確に迅速に働き、残業ゼロの私はある程度会社に貢献していたと思う。

こんなにやっているのに役に立てない、こんなにやっているのに認めてもらえない。この思いはその後長く続き今もある。

やってもやってもほめてもらえない。虚しさが残る。これは私の幼いころの人間関係に由来するものだろう。

父親との関係もそうだった。私はがんばらないといけない子だった。ゴールも救いもそこにはなかった。ただがんばる姿勢、途中でやめない姿勢。父はそこだけで私と関わったと感じる。父もそうだ。父は6歳のときに父親、私からすると祖父を亡くしているが、そのときのエピソードをこう話す。「小学校から自宅に向かう坂道を『帰らなきゃ、帰らなきゃ』と泣きながら登った」と。父親が亡くなって悲しいより先に義務感が先立つとはなんなのだろう。

わかってほしいという強い気持ち、周囲に認めてもらえないと安心できない私。それは怒りとなって周囲に向かうこともあった。私は自分で自分が抱きしめられない。

抱きしめてもらう、そしてそれに応える。これは基本的な人間関係の在り方だ。私は、これが足りない。わかってはいるが、同じようなことを繰り返す。要するに幼いころの人間関係の実現だ。問題は自分の中にある。自分をもてあます。いったいいつまで続くのだろうとうんざりする。

現実でその体験ができなかったので、私は夢を見るしかない。しかし、私の夢にはまだよい兆しはないようだ。

社会の役に立つことと生きることとは違うと思う。極端な言い方をすれば私はOL時代生きていなかった。問題は私のほうにあった。私は役に立つより、自分の生を生きたい。そして夢を見続けていれば、私も生きられると思っている。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。