カウンセラーが生きる

臨床の場では「カウンセラー自身がまず(しっかり)生きることだ」などと言われる。しかし「生きる」とはいったい、どういうことを言うのだろうか。そのようなことを考えてみると、カウンセラーが生きるとは自分の中に希望を見だすことかなと思った。ただ、その希望のありかたは人によって千差万別なんだろう。

生きていれば理不尽なことがときに起こる。そういうときにはその中で我慢を重ねて、何とか工夫をこらして生きている。そういう部分は意識せずとも多かれ少なかれ誰にとってもあるのではないか。しかし、あまりにも状況が入り組んで混乱していたり、出口が見えないような思いをしている場合には、私の場合はまずは「希望」がほしい。

・・・私にとっては結局希望とは、誰かとの絆のことかなあと思う。それは今の関係でなくともよいと思う。過去に誰かが自分を信頼し、向き合って一緒に悩みに向きあって生きてくれた、その経験が希望になるのではないか。カウンセラーがすべきことのひとつは、この土台を少しでも築くことかなと私は思う。

相手の中に物語を見だすのがセラピーだという考え方がひとつあるとして、そのためにはカウンセラー自身も自分の中にどういう物語があるのか探る必要があると思う。そして「希望」も確かにその物語に含まれているとは思う。ただ、カウンセラーが自分の胸に手を当てて自分の物語について考えるのは、相手と一緒に悩みに向きあう、単にその時の道具や構えにすぎないのではないかと思うときが、私にはある。

こうして書いてみると、なんだか話がぐるぐるまわっている(@_@)。が、物語をたどってその中に希望を見だす。カウンセラーが生きるとはそういうことかと思う。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。