小学校2年のときの担任の先生は、T先生という女性で、当時おそらく30歳前後であっただろうか、小柄であたたかい先生であった。当時私は、今にも増して何をするにも動きが遅く、集団行動について行けず、提出物もままならなかった。宿題などはきちんとやったのですが、そして、学校に持参はするのですが、それを先生に提出する段となると、気おくれ、というか、おっくう、というか・・あとは、出すだけだったのですが、それがなぜかできない。小学校低学年は「失敗経験」の連続であったと記憶している。あれもできない、これもできない。どうしてできんの、と言われても、できんもんはできんのです。この状態は確か、4年生の5月くらいまでは続いていた。
さて、そのような私が小学校2年生になったある日、体育の授業があったのですが、その前の時間で、隣のクラスの女の子が、私に体育館シューズを借りに来ました。授業が終わったら、廊下のシューズ掛けがあったのですが、そこに戻しておいてもらう約束でした。しかし、教室で体操服に着替えて、いざ体育館に移動しようとし、廊下のシューズ掛けを見たら、私の体育館シューズはなかった。
そうこうしているうちに、授業時間が始まった。そのときの空気を今でも思い出します。授業が始まって静かになった校舎内。クラスの皆はすでに体育館に移動している。自分がひとりで廊下にいて、その状態がかなり異様であることを感じ、心細く罪悪感も感じていたと思う・・すると担任のT先生が来てくれました。理恵ちゃんどうしたのと。そしてこの時にはT先生に、自分の状況を話すことができました。
それからT先生は、隣のクラスの貸した相手の子のところに行き説明を求め、私のシューズを見つけ出し、要するに私の体育館シューズは間違えて隣の名簿順の子のスペースに戻されており、(当時体操服入れも同じ場所に掛けられており、隣の子のそれが同じような色合いだったのでどうやら間違えたようです)、そしてT先生は私にも、丁寧にそうなった理由を説明してくださった。その時には自分のシューズがあって、どうしてその状況が起こったのか理由もわかって、本当にほっとしたことを覚えています。そしてこれは、クラスの他の子たちを皆、体育館に待たせてなされたことでした。
このように集団についていけない1人の子どものためだけに時間を割いたT先生の行動には、もしかしたら賛否あるのかも?しれません。が、当時の私にとっても、今の私にとっても、これは本当に必要な経験だったのです。