11歳

小学校の高学年で、スイミングの選手コースに入ることになった。それまでは週に1度、日曜に近所の友人と一緒に遊び半分で通っていたスイミングでしたが、コーチに進められて、週に3回、夜にプールに通うことになった。知立駅まで電車に乗って行って、駅前にあった本屋の向かいにあるバス停でバスを待った。バスを待つ間に毎回、トランペット曲の音楽が大音量で鳴り響いた。その頃知立市役所?のスピーカーは夕方6時になるとその音楽を流した。つい5~6年くらい前までその音楽は30年の時を経ても流れていた。その音楽を聴くたびに、知立駅前で、木に登ってバスを待っていた時のことを思い出す。その木は大きくなって奇妙な形に剪定されて、今も残っている。

せっかく入った選手コースだったが、入ったとたんにフォームが崩れ、全く練習についていけなくなってしまった。それまではどちらかというと、私のストロークは大きく、のびのび泳いでいたのですが、かいてもかいても空回り。気ばかり焦って前に進まなくなってしまった。コーチもいつも目を吊り上げて怒っている感じだった。結果毎回皆と離れてビリを泳ぐことになった。全然楽しくなかったし、それどころか単に苦しみだった。なのに自我が弱くてやめれなかった。この時、やめることが私にとっては必要だった。

この話をある人にしたら、それは心と身体のバランスが崩れたのではないかと言われた。そうかもしれない。それまではのびのびと楽しく泳いでいたのが、「記録、記録。」と言われて、自分にとって、わけがわからなくなったのだと思う。しかしその時の私には、なぜ、そうなってしまったのか、全くわからなかった。

その後、中学と大学でも水泳部に入った。私は本来、泳ぐのは嫌いではない。中学の水泳部は部員の数が少なくゆるい感じだったこともあり、なんとなく活動を終えることができた。大学も水泳部でしたが、同級生には初心者も多くて、「早く泳がなきゃ」という変なプレッシャーを感じることはなく、なんとなく活動を終えることができた。思うに、周囲が速い人ばかりの中だと、自分も速く泳がないといけないという、意味のない無用なプレッシャーの方が先に来て、それで身体が動かなくなるのではないかと思う。要するに私は、泳ぐのが遅かった。遅いなら遅いで、そういう泳ぎ方もあったろうに。

さて現在、ごまかしごまかし、私はなんとなく皆と同じように泳げるようになった気になっていたが、果たしてそうなのかという疑問が起こる。今だに、バラバラの心と身体で、焦って空回りして泳いでいるのにすぎないのではないかという気がしないでもない。大切なのは記録ではない、結果ではない、自分のスタイル、自分の泳ぎをすることなのに。本当だったら、三十数年前に、木から下りて、考えなくてはいけなかった。11歳の頃、知立駅前で、トランペットの大音量の曲を聴いて、バスを待っていたあの時に。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。