箱庭療法は、遊ぶことでストレス解消、表現することで心の整理になります。言葉にならない感情の経験や発散、物語を読んで癒される経験をされる方も、いると思いますが、箱庭療法も、自分で小さな物語を作っているようなものです。物語を作ることは作り手にとって癒しになると、どこかで村上春樹さんも書いていたと記憶していますが、箱庭療法も同じく、物語を作ることでの癒しの効果を狙っています。
なので、あまり解釈をすることは、私が好みません。それに、箱庭作品の意味するところは、私もわからないことが多いです。ファンタジー小説をお読みになったことがある方はいらっしゃいますか。その中で、すべてが説明できるわけではないでしょう。空から魚が降る、瞬間移動する、タイムスリップする‥等、読んでいてわからないこともあると思われます。それでも物語が成り立って、読んだ後に癒されたり、すっきりするのは、物語を読むことで、感情を味わったからもあると思われます。そして、感情を味わうことは、心の薬になっていると思われます。単純に娯楽として面白いというのもあると思われますが。箱庭も同じです。カラオケに行ったり、スポーツをして楽しむのがストレス解消になるのと同じで、遊ぶことががストレス解消になりえますし、感動する映画で泣いたときに、気持ちがすっきりするのと同じで、感情を味わうことは、癒しになりえます。
箱庭療法入門に書かれているように、理論や解釈仮説が全くないわけではありません。この疾患にはこの傾向・・ということも、箱庭療法入門にもほんのわずかですが書かれています。なので、箱庭作品をテストのようにして見ることが不可能かと言ったら、全くそのように見れないこともないと思われます。
ただ、もし箱庭作品から何かわかることがあったとして、それを伝えても、その先の援助につながらなければ、クライエントの方がこれから豊かな生活を送っていく、その助けにならなければ、誰のためにもならないと私が考えます。なので、箱庭を見て、仮に問題点が何か見えたとして、それをすべて伝えるのは、私が好まない。もちろんお伝えした方がいいことはお伝えしますが、実のところ私にもはっきりこれとわからないことが多い。
それよりは、表現された内容を物語としてとらえ、その方のために何ができるのか、よく話し合って一緒に考えていきたい。そのようにして、その方の内面を、一緒に見ていくことのほうが大切のように思える。箱庭で表現された内容は、ときにその方の意識面が捉えている問題と、全く違う視点を提供してくれる場合もある。
箱庭療法実施にあたっての、セラピストの存在意義は、セラピストか感じたことをお伝えすることにもあると思われるが、なんせ箱庭作品が、クライエントの方が意識的に問題としていることと、違う面からその方の生活の在り方を示してくる場合もあるので、クライエントの方には「今そんなことどうでもいい」等受け入れられない場合もあるようだ。何かしらわかったことがあったとしても、お伝えの仕方やタイミング、伝えることの是非の判断が難しいところではあると感じている。あとは、セラピストの私が過去に読んだいろいろな物語が、クライエントの方の箱庭表現の理解に役立っていると感じる。そのためにもたくさん物語を読まなくては・・と思っている。