痛みに触れさせてと言うけれど

痛みに触れさせて~♪ 平原綾香さんの歌「Jupitar」の中にこのような歌詞があった・・。

何かもやもやしたものを抱えているけれど、その表現方法がわからない、そういうことは誰しもあると思う。かく言う私にも、そういうところが多分にある。カウンセラーとしては、人の痛みに到達する、それこそが求められていること・・と平原綾香さんの上記の歌詞を聴いては感じ入っていたときもありました。しかし冷静になって考えると、求めてもいないのに(かつこちらにそれだけの度量もないのに)、痛みに触られたほうはたまったものではないと思う。

「人に何か差し出したい」。

私にはそういう欲求があるようです。自分に欠けているものを、他に与えることによって安心しようとする。そういうことかもしれません。そして、こうして書いてみると、なんと、「私には差し出すものがあります」と、かなりおごった感じのすることよ、とあきれます。

こういうときにはひとつ、私の臨床の先生のことを考えてみようと思います。少なくとも私との分析(カウンセラー自身が訓練のためにカウンセリングを受けること)上の関わりの中では、先生にはそんなこと、すなわち、「人に何か差し出したい」というようなことは、考えている様子はなさそうです。そして最近、思う。先生は、ただ反応しているだけなのではないかと。人間として、当たり前に感じることを、感じたままに反応する。先生がしているのは、それだけのように思える。良い悪いの判断もあまりしない。しかしかわりに例えば、びっくりしたり、怒ったり、時には泣いたりする。

そう考えると、私が先生からもらったものは、人間らしい反応だと思う。そうするとやはり、「痛みに触れさせて」というのは、どうも違うように思える。

あとは、節度の問題がある。人に優しくすることは、大切だと思う。でもこのごろ、節度こそ、一番のやさしさのように思える。相手を尊重し、尊敬し、一人前の人間として扱う。この気持ちが一番大切のように思える。これも先生から学んだことのひとつです。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。