正しいことを言ったとたんに失われるものがある

人と話をしているとよくある、誰が聞いても正しいと思うようなことを言いたくなることが。または、当たり前に互いにわかっている(がその時点ではどうにもならない)ことを言いたくなることが。ただ、これを言ったからと言って、ものごとは殆ど進まない。それでも言いたくなるのが私の性らしい。

会社で事務の仕事をしていた頃私は、新入社員教育の仕事をしていて、研修期間中には新入社員の方と一緒にラジオ体操をしたり、工場見学に同行したり、消火器訓練に参加したり・・様々なお世話をした。新入社員教育の担当は何人かいて、話し合ったり協力し合いながら、教育の日数や内容を各部署と調整する(いろいろなしがらみがあった)必要があった。その当時課長に連れられて、新入社員教育にまつわる様々な調整のために、とある部署との間の話し合いに臨んだ直後、同じ話し合いに参加した同僚から「加藤ちゃん何故直球ばかり投げるの~」とあきれられた覚えがある。

誰が聞いても正しいとしか言いようのないことを言われて、それでその通り相手が変わったらカウンセリングは必要ない。当たり前に互いにわかっていることをぶつけ合っていても、会社での調整会議は進まない。大切なのはその結論に至るまでのプロセスであり葛藤でありそこから生まれる物語だと思う。それこそがその結論を導きだす人間に、言われた人との関係に、その先の人間関係に厚みと奥行きを与える。私たちは機械ではない。解決に至るのに、そのプロセス、葛藤、物語があることが、人間が人間たる所以だと思う。

・・という感じに言っておきながらおそらく私はまた、誰が聞いても正しいと思うようなことを言ったり、言っても前に進まないような当たり前のことを言ったりしてしまうことでしょう。そういうときには、自分が自分という存在から切れているときのような気がする。そのような時はだいたい、自分が何のために、誰のために話を聴いているのか忘れている。なので折に触れそれを思い出して問い直す、私にとってはそれが必要かなと思う。

ただ、ひとつ思い出すのは、会社員時代にある先輩に言われた「直球に磨きをかけるっていうのもひとつだぜ」という言葉です。これは球の絞り込みと投げるタイミングのことかなと今は思う。直球は投げてもいいときもあるのだと思う。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。