今日は満月。今週から寒くなって空気が澄んでいるせいか、月がとてもきれいに見える。
フロイトの患者さんで狼男と呼ばれた人があった。狼男はフロイトに治療を受けた中で狼が出てくる夢を見たので、通称でこう呼ばれている。そして、狼男はフロイトとのことを「わがフロイトとの思い出」という文章で書き残している。8月の終わりに、それを読む機会があり、加えて、フロイトが書いた、狼男の症例「ある幼児期神経症の病歴より」も読むことにした。
狼男の書いた「わがフロイトとの思い出」は短い文章で、読みやすかった。その中で、狼男が言うには、フロイトは患者さんである狼男に、「自分の弟子たちが君ほどしっかり精神分析の本質を把まえてくれたらいいのだが」、と言ったそうな。そして狼男が治療の最後にフロイトに置物を送ったらしいのですが、それが、20年後にある雑誌に掲載された、机に向かっているフロイトの写真に、写っていたそうな。狼男とフロイトの関係がどのようであったのか、うかがえるエピソードです。一方、フロイトが狼男の治療について書いた論文は読んでみると難しかったが、推理小説のように面白かった。というのも、最終的には、症状が起こった原因が突き止められるからです。読んでいるうちに、「これはそのうち、神経症が起こった犯人を目の前につきだしくれるんでしょうね?」というような期待が自分の中に沸いてくる。そしてフロイトはそれをして見せてくれる。
フロイトのこの論文はユングとアドラーがフロイトから離反した直後に書かれたものらしく、ユングやアドラーの打ち立てた理論に対する批判もどこそこに見られる。河合先生の著書などで、この時期のユングのフロイトからの離反のことが書かれているものを読んでみても、フロイトからすると、当時はあまり世の中には理解してもらえなかった、精神分析の考え方を、話し合えて、理解し合えて、共同で研究していた、目をかけていた2人の弟子?が離れて行ってしまった感じだったようだ。そのような2人への批判も論文の中のあちこちに、書かれているからか、論文の中でフロイトが翻訳した狼男の愁訴「僕の人生はとても不幸だ、もう一度母のおなかの中にもどらなければならない」(から伝わってきた感情)は、フロイト自身のものでもあったのかもしれないという印象が、私の中に沸き起こってくるほどです。それに、私自身が、この論文を読んで多分に内省的になることができた。執筆者が内省的になっておらずに書いた文章が、人を内省的にすることができるだろうか。
さて、話は変わるのですが、9月の半ばくらいに、自分が見た夢がきっかけだったのですが、海の潮の満ち引きがなぜ起こるのか、気になった。これは学童時代に習ったのかもしれませんが、忘れていました。潮の満ち引きは月の引力で起こるそうな。そして次は、月は何故いつも同じ方向(ウサギの柄があるほう)を地球に向けているのかが気になった。これは、地球の引力によるもので、月の重心が、中心ではなく、少し地球に向けている側にあるから、そうなるらしい。
その次に、何故地球が自転しているのかが気になってきた。調べたら、地球ができたときには回っていて、宇宙空間には動きを止めるための摩擦がないから、回り続けているらしい。地球の誕生については、それで納得できますが、さらに、宇宙の始まりのビッグバンまで遡ると、ほんとうに、あったのだろうか・・?と感じる。
・・・潮の満ち引きからこのようにいろいろ考えたのは、原因を追究する論じ方をする、フロイトの症例を読んだからかもしれない。しかしいったい、臨床で問題になる、「ほんとうのこと」とは何だろう。原因のことなのか。そうではなくて、例えば、私がフロイトの書いた文章から感じた(←いくぶん恣意的ではありますが)、フロイトの嘆き?と呼べるもののほうが、私たちが臨床で問題にする「ほんとうのこと」に近いのではないか。今夜の澄んだ空に浮かぶ、満月を見て、私はそう感じた。