何故存在するかから何のために生きるかへの変換について

何故自分が存在しているのか

私は子どものころからいつも自信がなかった。いつも途方にくれていた。社会のどこにも居場所はないし、誰にも尊重されていないような気がした。何故自分が存在しているのかわからなかった。

存在の意味というのはひとつには親から与えられるところが大きいだろう。人間はただ、愛されるために、そして愛するために存在する。これで説明がつくものかもしれない。

こういうものがある人は、生きる意味など考えなくても満足した生活を送ることができるのではないでしょうか。逆にそういうものがない人は、他に生きる意味を考える必要が出てくるのかもしれない。昔からいろんな人がいろんな物語を書いたのは、その理由もあるかもしれないと思う。

愛されなかった人は、素直に愛を受け入れることはできない。どうするか。自分で愛を求めていくことになる。しかし、どこに見だすのか。だいたい愛とはなんなのか。そして、愛の形を高めるとはどういうことなのか。そこから考えることになったりする。愛には汚い側面もあるしいろんな形がある。

おそらく、愛されなかった人は簡単には自分の存在の意味はわからない。しかしまずは、自分のことを知って、テーマを読み取り、何故存在するのかという問いを何のために生きるのかという問いに変換して考えることくらいはできるのではないか(と自分に向かって言う・・)。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。