人間理解は恐ろしいことなのか

人間のことを理解するなんて、恐ろしくないのかと友人知人にきかれる。これは相手の本心を知って怖くないのかとそういう意味で言っているのかもしれない。

例えば普段にこやかに接している職場の同僚が、本当は自分のことをどう思っているのか。先日仕事でやらかした、そのときに上司は「ドンマイ」と言ってくれたが、本当はどう思っているのか・・そういうことを考え出すと人間を理解するということは怖いことかもしれない。

しかし、人間理解というのは、一般的な意味で言う、相手の本心を知ることとは少し異なるように思える。どちらかというと、その人がなぜそこにそのようにしているのか、その理由を考えることのような気がしている。そうすると理解にはその人の無意識も入る。周囲の人との関係もそこに入る。その人の過去の歴史も入る。その人が含まれる文化の人間観、世界観等も入る・・・。

このように視野を拡大して行って相手を理解し、ある帰結に至る。そのプロセスのことが人間理解だと思う。そしてその帰結とは、救いであると思う。ユングもフロイトも野心のために理論をを打ち立てたのではない。2人とも自分たちの患者を救いたかったから自分の理論を打ち立てた。

理解の果てにはそのような帰結がある。だから人間理解は怖くない(はず・・)。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。