京都の休日

友達と3人で日帰りで京都へ行ってきた。午前中は嵯峨野の常寂光寺、二尊院、念仏寺、祇王寺と周り、その後地下鉄に乗って美術館のあるほうへ行った。

常寂光寺ははじめに訪れたので、美しい紅葉に興奮して写真を撮りまくった。展望台を登って下りた本堂の裏手には瓢箪形?の池と小さなお庭があり、縁側に人が座れるようになっていた。私たちもそこに腰かけた。そこから太陽を向こうにしたモミジの色が明るく透けてとてもきれいだった。そこから移動するとき太陽の側から同じモミジを見たら、太陽を向こうにしていたときの色と全然違ったのに驚いた。

常寂光寺モミジ2

常寂光寺内

常寂光寺竹

常寂光寺竹林

常寂光寺モミジ

常寂光寺本堂裏からのモミジ

二尊院は、釈迦如来と阿弥陀如来が両方本尊として祀られているということで、二尊院。初めてだったこともあり、本尊を遠くに目にして手を合わせると、有り難く、涙の出るようなしみじみとした気持ちになった。本堂の裏手には小さなお地蔵様が並んでおり、どれも優しくほほえんでいるようにみえて、ほっとした気持ちになった。

二尊院3人

二尊院の入り口階段

祇王寺は紅葉には早かったが、丸窓のある庵?があって、平清盛や祇王、祇女(平清盛の寵愛を受けていた白拍子)の像が安置されている。少し前の大河ドラマで平清盛をしていたときがあったが、そのときに登場人物にちなんでこの像が紹介されていたのを思い出した。像はふっくらした丸顔で切れ長の目、鼻は高くない。友人が「昔の人はああいうのが美人だったんだよね・・」とつぶやいた。鎌倉時代に作られた像のようだ。

祇王寺苔

祇王寺苔とモミジ

嵯峨野の駅に戻る途中、コーヒーが飲めるお店に立ち寄った。それぞれ違う種類のコーヒーを頼んで、交換しながら飲んだ。私の選んだものはものすごく濃くて苦くて、それを味見した友人が「りーこらしい」と言った。「登るにもこんな急な山を選ぶ」と手でUを逆さにしたような山を描いた。以前その友人に、「何か選ぶときに大変なほうばかり選ぶ」と言われた。そういわれてもこれは性分だからしょうがない。とも思うが、もう少し力を抜いた生き方もしたい・・。とも思う。ピザトーストを3人でわけて、ぺらぺら喋っていたらあっという間に時間が過ぎた。

嵯峨野からJRと地下鉄に乗って蹴上という駅に。夕方になっていたので、南禅寺の三門だけくぐって引き返し美術館に向かうことにした。南禅寺は紅葉が見ごろ(緑がまだ残っているのが返ってよかった)で人も多かった。着物を着た観光客らしき若い女性が何人かいて、私たちも「今度はあれやりたい!」と声をかけあった。もし実現するならば、柄の入った思いきり派手な着物を着て歩くのも楽しそうでいいと思う。

南禅寺3人

南禅寺三門前

南禅寺からは歩いてすぐ美術館に到着した。美術館では日本画の若冲展の最中で、閉館ギリギリで入ったせいか比較的空いていた(といっても、人はたくさんいた)。あまりゆっくり見る時間はなかったけれど、印象に残る画は何枚もあった。布袋が河を渡っているところを、お尻のほうから見上げるアングルで描いた画は、はじめ何が描かれているのかわからなかったが友人と、「あれお尻じゃない?」「」あれはお腹じゃなくって背中に背負った風呂敷の荷物じゃない?」と言い合っているうちに、絵がまとまりのあるものとして見えてきたのが面白かった。

その後駅まで歩く途中で、甘いものを食べようと入った店は、注文したのにいつまで経っても出てこなかった。30分くらい待っても出てこないので店員さんに確認したら注文が通ってなかった。喋るのに夢中であまり時間が経っているようには感じなかったのだけど。それでプンプン怒りながら店を後にした。

京都駅に着いたら弁当とビールを買って、新幹線の中で食べながら帰った。中学のときの思い出など話しても、思い出すのは「あの時は馬鹿だったよね」「なんであんなだったんだろうね」と笑って話すような話ばかり。たぶん今回も、のちのち思い出すのは、どこのお寺の何がよかったという話より、そういう話だと思う。そのときには焦ったりがっかりしたり怒ったりした。それでも後から笑ってしまうような話。今回の旅行の話もまた、思い出して話せたらいいなと思う。

3人

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。