ロゴスとレンマ

昨日まで京都大学で開催された箱庭療法学会に参加して来た。今日はそのシンポジウムで聞いた「ロゴス」と「レンマ」という言葉について書こうと思う。

中沢新一さんが登壇されたシンポジウムでは西洋と東洋の自我の在り方の違い、哲学用語のロゴスとレンマについて、仏教的な世界観について話をされた。ロゴスとは物事をとらえるときに、論理的に取り出して並べること。物事の真偽をはっきりとさせる。レンマとは物事を直観的にとらえること、曼荼羅状態に事物を配置しとらえること。西洋では言語的な充実を実体と同一のものと考え、西洋では神はロゴスである。対して仏教では存在はレンマであり、あらゆる事物は縁起によりむすびつき流動している・・・このような説明が中沢さんからあった。

他に仏教用語である、心真如(←こころの中のほんとうの部分、真実、悟りの境地という言葉で表現できるか。無意識に属する、レンマ的である、人間もアメーバも持つという)についての話があった。この絶え間なく人間のこころの中に湧き上がる心真如、これが沸き上がる瞬間に外から塵をかけてくる客が現れる。そしてたちまちにして煩悩の世界を見ようというのが起こる。言葉で認識しようとすると、塵のゴーグルが真如の世界をおおってしまう・・するとまた真如の世界が蜂起し、その瞬間にやって来る客塵煩悩が・・と中沢さんの解説にすっかり引き込まれる。私はものごとの切断能力が弱い。・・やはりまずはロゴス的に生きたい・・このようなことを考えながら話をきいた。中沢さんは講話の最後の方で「もし人間たる理由が心真如にあるならば・・」というフレーズも使われた。

さて、このような有意義なシンポジウムに参加した後で、私の相談室の近隣でカウンセリングルームを開業されているH先生と河原町方面に食事に向かった。そこは烏丸の商店街を抜けて行った木屋町のあたりで、小さな水道が流れており、両脇に店が並び、風情があった。商店街ではH先生が絵手紙の道具として水滴を買われた。先生の選ばれたのは淡い色で少し模様の入ったものだった。好奇心旺盛なH先生と商店街を一緒に歩くのは楽しかった。

学会2日目は研究会に参加したが、学会会場で前日のシンポで出た「レンマ」という言葉が流行っていて、いろんな場所でその言葉をきいた。研究会の事例はすばらしく、自分の力の無さを実感した。しかし自分のふがいなさを実感した中でも、H先生と過ごした時間は楽しく、本当であった。いい学会であった。

木屋町でみかけた。中沢によると彼も心真如を持つ(らしい)

この記事を書いた人

アバター

加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。