この1か月の事

コロナウィルスが流行し始めてからこれで1か月以上が経つ。同業の他機関や、似たような業種の人から情報を仕入れたり、周囲の動向に注意しつつ、この1か月は仕事を続けながら自分が社会でどのような役割を任っているのか考える日々であった。こころの問題は、このような体の疾患のケアが世の中で優先されるときに、どのように扱われるべきなのか。私が日々行っていることは何なのか、来談されるクライエントの方々の期待は何なのか・・等日々ぐるぐる考え続けた。考えても考えてもなかなか腹が決まらなかった。

さて、先日近所にある運動公園を散歩してきた。桜が満開に近く、風が強かったが気持ちの良いウォーキングであった。周囲を1周すると1.4キロほどあるとのことだが、久々に東側のほうまで足を伸ばした。東側には狭い駐車場があり、25年ほど前にはこの駐車場をちょくちょく訪れていたものだった。変わらずその場所にその駐車場があることに、そのようすの変わらなさに意外な思いがした。そこに生えていたメタセコイアの木も変わらずだった。

運動公園の北側には川が流れており、川に降りて行く手前が草地で丘のようになっており、タンポポが群生していた。かわいらしい姿を見て心が和むのと同時に、地中に深くまっすぐ伸びている、見えない根に思いが行った。

人間もかつては、メタセコイアやたんぽぽのように、その株が生きて行かれるだけの土地の養分を吸って、生活していた、そのような時代があったはずだ。家族が食べられるだけの作物が育てられるだけの土地を有して、そこから得られるものだけを大切に用いて生きる。農耕生活とは形は異なっても狩猟、採取の時代からそのような生活をしていたのではないかと思う。

文明が発達し、世の中はとても便利になった。インターネットの普及で効率的にいくらでも欲しいものが手に入る。物があふれているので、他から与えられてもそのありがたみがわからない。美味しいものを食べても、誰に感謝の気持ちもわかない。食べた美味しいもののこともすぐに忘れてしまう。

まず大切なのは、自分が自立して生活していくことだと思う。私が普段臨床で扱っている、この世の自分の役割、自分がどう生きるのか考えることというのは、大切だし自立の礎とはなるが、それを問うのと同時に、自分が生きると言うことを地球上の一生物として考える視点も必要のように思える。そう考えたときに、じっと動かず、必要な土地からの養分を得て生きながらえる。このような植物の在り方は、生物としての在り方の、ある一面からの見方になるかもしれないが、本質をついているように思える。

この1か月は、心理面、臨床面からばかり自分の存在意義を繰り返し問うてきた気がする。しかし今は思う。私はこの仕事を選んだ。それはある意味私の命に直結している。だからただシンプルに、選んだ仕事で自立して生きる。それが私の世に負う責任なのだと思う。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。