人と自分が違う個性をもつこと、個人差は私にとっては恐ろしいものだと感じた。それは生まれたときからずっと、そうだったように思える。ユングの個性化の理論に惹かれたのも、そのような私の背景があったからかもしれない。
ひとりの人格の中には、女性性と男性性が共存している。受容、柔らかさ、境界の無さ等は人格の女性的要素、対して切断、侵入、力強さ等は人格の男性的要素と分類され、心理学において論じられることがある。ユング心理学で個性化と呼ばれる過程では、人は外的な環境に適応した態度・・例えば性差で言えば、女性は女性らしく、男性は男性らしく・・というペルソナが求められ、まずは自分が生きてこなかった側面、例えば主張をしてこなかった人は、主張するような生き方、これを影と呼びますが、それを自分の中に取り入れることが課題となり、その後で自分の内面にある異性像と接触することが課題となる。最後の「異性像と接触する」の部分は、ちょっとまだよくわからない。この部分について師匠が折に触れ直観的かつ自由な表現で様々のバージョンの説明をしてくださったことが思い出される・・が、自分としては、侵襲的で恐ろしいもの(「個人差」もそのひとつと言ったら、乱暴でしょうか・・)、自分の中に男性的なものの存在を認め、同一化することなしに、自分の中に基礎づけることかと思われる。基礎づけるとは例えば、村上春樹の「1973年のピンボール」を読むと、女性性のある側面(どうしようもなく惹きつけられて、なかなか抜け出せないもの)について描こうとしていると思われるが、村上春樹は小説に書いて自分の中にある不可解なものを自分の中に「基礎づけた」のかと私には思われた。
さて、以前にこのブログで、ユングの患者さんの統合失調症の老女の症状について書いたことがあった。老女は長年精神病院に入院していた人だったが、入院中にずっと、靴に紐を通すような動作を繰り返していた。それは娘時代に自分を捨てた恋人が靴職人だったことに関連していると思われた。ユングは老女の死後にその事実を知り、統合失調症の発症の機序に関する見方を変えた。
私にも、症状ではないが、繰り返し見る印象的な夢があって、それはずっと以前に自分があきらめたことを夢の方で実現し続けている、そんな夢だと思っていた。夢の言わんとすることは「お前が犠牲にしたのはこの人生を生きたはずだった自分だ」と解釈し、「あわれ・・」と哀しんでいた。しかし、よく考えたら、その生き方をする私自身を犠牲にしたというのなら、私が見たのはもっと違う夢だったはず。それでこのたび考え直すことにした。夢は違う形で実現を求めているのではないか。実現されない、現実に落とし込まれない夢は、ユングの患者さんだった統合失調症の老女の症状と同じで、どこにも行きようがない。すなわち、誰のことも生かさない。それでは間違っていると思うようになった。
ここで、ずっと以前にある場所で私が実際に会って話をしたあるご婦人のことを書こうと思う。かなり波乱万丈の人生を送られてきた方であったが、あることをして、支えに生きてこられていた。彼女はそれを、喜んでしていた。もう90歳近い方だったが、お会いしてからしばらくしてから、その方が40歳代後半の女性として私の夢に出てきた。
私は希望という言葉をきいたときに、この方の目を思い出す。その方の目は喜びにあふれていた。私たちが後世に伝えて行かないといけないのは、あの朗らかで暖かい目かと私は思っている。その伝え方は、人によって異なり、個性化はそのためにあると思う。
その方は私がお会いしてからほどなくして、亡くなられた。最期の様子を伝え聞いたところによると、穏やかに楽しく過ごされていたという。それをきかなくとも、あの方が、朗らかに楽しく過ごされていたことは、想像がついた。人は何歳になってもどこにいても自由に生きられる、私にそれを教えてくれた方であった。