my story

小学校2年生のときにアゲハの幼虫を育てた。青虫をどこからかもらってきて大切に育てた。キアゲハより少し色が薄い種類のものだ。幼虫もすっきりとした模様でキアゲハほど派手ではない。

毎日幼虫を手に乗せて近所のみかんの木の葉っぱをもらいに行った。家の中で上にふたのない透明の容器の中で育てていた。ある日幼虫はさなぎになった。しかし、透明の容器の中に私が準備した割り箸のところでなくて容器から出たテレビの上に乗っていたランか何かの鉢植えの根っこのところでさなぎになっていた。

一週間くらいしたある日学校から帰ると、アゲハがかえってカーテンのあたりで、ばたついていた。母親は私が帰るまでと言ってアゲハを居間に閉じ込めておいたらしい。私は閉じ込められていたアゲハのことを思って胸が痛んだ。

3年生になった。今度はみかんの葉っぱに卵が3つついているものをもらってきて孵化させた。初めは黒い幼虫で何度も脱皮して少しずつ大きくなった。私はまた大切に育てた。ある日学校から帰ると幼虫が入れ物ごとなくなっていた。母親が知り合いの息子の夏休みの自由研究のためにあげたという。後日母親は、あれ育てられなくなって死んじゃったってと軽く言った。

大学受験で金沢の国立大に合格した。文学部でゆくゆく古典が勉強できるところだった。私はなんとなく古典が好きで当時は「世の中の人が皆これを学べばこの世からいじめがなくなる」と漠然とした確信を持っていた。入学金の支払いと下宿探しをしに母と向かったとき、金沢駅で母は泣いてすがった。なぜ親元を離れようとするのか。親のために側にいて役に立ちたいとは思わないのかと。私は別で合格していた地元の私立英文科に進学した。

大学を卒業して地元の自動車部品メーカーに就職した。教育部門で女性社員教育、女性活性化プロジェクトに携わった。しかしプロジェクト以外は3年経ったら仕事はほとんど慣れてしまった。5年経ったら職場に居場所がなくなった。当時気心が知れた課長は「男性社員は45歳くらいでキャリアの危機がおとずれるけど、女性社員はそれが26.7歳でやってくるみたいだね」と言った。自分や周囲を見ても全く実感として感じていたことだった。私は方向性を失った。

私は河合隼雄先生の本に影響されてカウンセラーになろうと思った。10年働いた会社を退職して大学院に入学した。そこには当初、河合先生に分析を受けた西村洲衞男先生がいた。しかし入ってみると大学院はなにをやろうとしているのか私にはさっぱりわからなかった。途中挫折しそうになって、その時にはもう退官していた西村先生の相談室をおとずれた。西村先生は「カウンセラーにならなくてもいいからとりあえず大学院は卒業したほうがいい」と言った。それならできそうだと何とか大学院を修了した。そこから西村先生に分析を受け始めた。私はたぶん、カウンセラーになりたいというより自分がカウンセリングを受けたかった。私はたぶん、病気だった。

大学院を卒業してから心理士の試験に合格するのに3年かかった。その間職を転々とした。契約社員もした。非常勤で英語の教員をした。その間西村先生のところへはきちんと通い続けた。西村先生は「何の職業についてもいいから心理士の資格だけは取ったほうがいい」と言った。それならできそうだと思った。「彼女は逡巡とめぐる世の中をなんとか渡ってきた。今は自分を表現する場所がなくて行き詰っている」西村先生が私のことを誰かにそう言っている夢を見た。

心理士の資格を取ったらすぐに先生の縁で病院に就職が決まった。心理士として患者さんのお話が聴けるのは本当にうれしかった。2年半働いたところで病院に「患者さんの話を聴くよりはテストを取って点数を取りなさい」という趣旨のことを言われた。病院も企業だからしょうがない。しかし私は病院を退職することにした。

私はこうして開業のセラピストになった。

母とは2年前、昨年亡くなった祖母が最期信州立科の施設に入所していたのでそこを訪ねたときの、宿として泊まっていた温泉で話す機会があった。

母が祖母には乾いた愛情しかもらっていなかったこと。親戚のおばさんたちが代わりに女性らしい愛情を注いでくれたこと。小さい頃の母の家は亡くなった祖父と叔父の折り合いが悪くて殺伐としていて、いつも小さくなって本を読んでいたこと。おかげで「求婚」と「球根」の違いもわからないような小学校低学年でブロンテの「嵐が丘」を読んでいたこと。確かに今も本を読むときには体を折り曲げて小さく薄くして自分の世界に入っている、母の様子を見るとそうだったのかと思う。

その祖母も、一代上、私からすると曾祖母の代に一族の女性が祖母以外全員死に絶えるということがあり、厄除けのために家の門を奇妙な場所にずらせた、という家系の中でただひとり残った娘として継母に育てられた人だった。

これが私のストーリーだ。この中にあなたの悩みはありますか。もしあったら、なくてもどうぞ、カウンセリングルームはるきに来て、あなたの話をしてみませんか。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。