3つ目のピアスホール

私の耳には両耳合わせて3つのピアスホールが開いています。ピアスホールを開けるには、皮膚科に行きましたが、はじめは穴というより傷なわけです。しばらく傷が治るまでお世話をしないといけません。消毒したりして、傷がピアスホールになるまで育てていくわけです。このうち2つを開けたのはかれこれ20年以上前になります。3つ目の穴を開けたのは確か、15年くらい前だったと思います。

15年くらい前というと、30歳を迎えたころ。新卒で入った会社の仕事もかなりマンネリ化し、部署の女性の中では年齢は一番上、このまま行けばお局街道まっしぐら・・。プライベートは全くうまく行っておらず、日々大黒摩季の曲の、「これから私、何をどうして、生きて行けばいいんだろう~♪」というフレーズを、自分の身の上に重ねて聴いていたころです。

思えばあのころ、生きた実感がしなかった。なのに、月日だけは飛ぶように流れた。この調子なら、老人になるなんてあっという間だ。そうしたら、この人生など、さっさと終わる、どうせ人間生まれ変わるのだから、そうしたら次がある。本気でこんなことを考えていたころだった。(この状態は、その後6年くらい続く)。我ながらよく生きていたなあと思う。

そんな中、3つ目のピアスホールを開けた。開けた後で思ったのは、「ああ、育てるものがあるのはいいことだな~」ということだった。こんな自分でもまだ、傷ができれば、回復する。なんとなく生命力を感じられて、嬉しかった。それでいそいそと、ピアスホールの傷の消毒をしていた覚えがある。

しかし、生きるということはそれだけではなかった。その後面白いこともけっこうあった。

私は、27歳で実家を出てから、かなり傍に迷惑をかけるようになった。しかし、今振り返ってみると、(傍の人々には申し訳ないが、そして多大に感謝しているが)、そうして生きてこなければ、今の「生きることは、面白いこともある」と思える自分はなかったとも思う。今はどんな自分でも、生きてみることだと思っている。そして最終的には、逃げないことだと思う。そうしたらそのうち、道は開けるのではないかと思う。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。