師走に入って考える

9月以降公私にわたり気ぜわしい。師走に入ってそれは加速しそうだ。自分の夢にもなんじゃこりゃはじめましてというようなものが出て来てかなり混乱している。おそらく混乱しているのは外の世界の問題ではない。自分自身のこころの問題だと思う。

あらためて、私自身の主体性ということについて考える必要がでてきたと思う。外の世界は多かれ少なかれ今もこれからも混乱するだろうから、混乱に振り回されない主体性をどこに持って行くかあらためて考える必要があるように思える。

それは人生の目的ともいえるかもしれない。自分も何とか生きていて、何とか生きている人と会う。話をしてお互いまた何とか生きる。仕事でしていることは(見方によっては)そういうことともいえるので仕事には目的などいらないのかもしれない。

若い方に問われる質問として「なぜ人との出会いが必要なのか」というものがあるが、なんで出会いが必要かと言うと、人生の目的が人間の本質に関わることだからだと思う。本質が発揮されるには自分以外の人の存在は必要なのではないですか。私の場合には語りたい物語がある。だからこそ、自分の本質と関わり続ける必要がある。例えば勉強するのは本質と関わり、他に広がりを持たせるためだ。それ自体が目的のための行為だと思うからだ。人と関わるのもそうだ。私の主体性はそこにある。個性はそのために存在する・・。

師走は気ぜわしい。どんどん難問がふりかかってくるように思える。そのようなときに自分の主体性についてあらためて考えてみる。しかし、外の世界は何も変わらないので明日からも気ぜわしい日々が続くだろうと思うとうんざりするが、何とか生きて行くしかしょうがない。

この記事を書いた人

アバター

加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。