自分が夢分析を受けて、これで12年になる。自分が心理士になって夢分析を初めて、これで8年になる。
夢は何のためにあるかと言えば、自分のこころを磨くためにあるのだと思う。例えば自分が何かに得意になっていると、夢の方ではリアルに、ときに滑稽に得意になっている自分が映し出される。自分が他人の中に、「あんなことに夢中になるとはくだらない」等思うことがあったとして、実はそれが自分のコンプレックスで、実は自分のほうがその考え方に浸かっていることを夢が示してくることもある。夢は、厳しいが、その分謙虚になれる。
このようにしてきたのは、分別を以て人と接したいと私が思っていたからですが、一方で、これからもこれを続けていくのはただキツイだけなのかも・・?思っていた。そして、このシビアさがリアルな世の中だ、だからこそ人とのかかわりは尊い・・・そういうことを自分に言い聞かせるために夢はあるのかも・・・。浅はかな私は、夢分析のオチは結局そういうことか・・とも思いはじめていた。
ところが先日、とても美しい夢にお目にかかることできた。その夢は深く、心を打った。
以前どこかで読んだ話で、きょうだい3人が家を出て山に向かい、ひとりは食べ物が豊富なふもとで住むことにし、もうひとりはもう少し上まで登りそこで居を構え、残るひとりは食べ物は少ないが美しい景色が見たいともう少し上まで行ったという話があった(私なら食べ物の多いふもとで暮らすと思った)。以前焼岳に登ったときのことを思い出す。焼岳には北峰と南峰があって、どちらかは高山植物の花畑で、どちらかはゴツゴツした岩場から噴煙が出ていて、上まで来るとこんな珍しい景色が見られるのかと感動した(が、苦しい思いをしてまでまた見に来たいとは思わなかった)。
登山は苦しい。それと似て美しい夢にお目にかかるには、苦しい下降が必要なのだろうと思う。この世にはまだまだ知らない景色が無限にあるのだろう。