心理療法での約束とはいったい何なのか。約束とはどうしても必要なものなのだろうか。
最近「吾輩は猫である」を読んでいる。11章まであるようで、今10章まで読み進めたところだ。読んでいてリアルに絵が浮かぶ。風刺や、世の中に対する考えも述べられていて、その世界観に引き込まれる。1章ずつ大事に読み進めているが、笑ったり考えたりしながら読んで、本を閉じた後にも、じんわり温かいものが身体に広がるように感じる。おそらく残す11章も、期待を裏切らないのだろう。
最近、心理療法で約束というのは何なのか、何故必要なのかと考えていて、約束とは夏目漱石の書く小説のようなものかもしれないと思ったのでここに紹介した。夏目漱石はこの小説を、「ホトトギス」という雑誌に連載していたらしい。これが書かれたのは、100年以上前。テレビもインターネットもなかった当時の人々にとって、小説は数少ない貴重な娯楽だったと思われる。ホトトギスを手に取る人というのは限られていたとは思うが、おそらく人々はこの連載を楽しみにしていたことでしょう。小説の中で、当時の人々の生活のようす、息遣い、熱・・いろいろなものが感じられる。熱心に小説を執筆している夏目漱石の姿も目に浮かぶ。
その小説と私の間には、何も構造的な約束事はない。3月になったら、吾輩は猫であるを読みなさいとか、10月になったら1Q84を読まなければというきまりはない。1年に1回は読みましょうとか、読まなかった場合には、キャンセル料をいただきますというきまりもない。しかし、小説は私に何も約束してくれないかと言ったら、そうではない。本を開けば存在する楽しみと、世界観、それらに触れることができるという、ある種の信頼を約束してくれる。
その小説が信頼できるようになるまでは、読み手の私が我慢する部分がある。まずは、手に取って読むという選択。限りある人生、一つ選べば、何かは捨てることになる。次に小説の世界に感情移入できるようになるまで、数十ページ読み進めること。これらを経て「この小説は信頼できる」となる。
さて、私も含めて巷の心理士さんたちに、心理療法における約束は何かと問うてみるならば、まずはおそらく、頻度、時間、場所、料金等の「構造」のことだと言う人が多いだろう。しかし、本当の「約束」とは、セラピストとクライエントとの間で信頼関係ができることを指すのだと思う。まずは、あそこに行けば、なんとかなる。そう思ってもらえたら、第一段階の約束ができたことになるのだろう。心理療法で守りたい構造は、そのためにある。