大学院を卒業してから心理士試験に合格するまで3年かかった。その間いろいろな職業を経験した。1年半ほどの間、中学で英語を教えていたこともある。
はじめたはいいが、生徒との関係が難しかったり、個人を相手にするのと違って集団を相手にするとなると、また、思春期という時期的なものもあり、規律やルールを形式的に示さないとうまく行かなかったりと、苦労した分、学ぶことが多かった。それでも何とか1年半教員として籍を置くことができたのは、周囲の先生方の助けがあったからと思う。しかし、最後まで困ったのが、自分が英語の授業を通じて何を教えたいのかがわからなかったことだった。
さて、教員をしながら私は心理士の試験に合格し、病院への就職も決まり、その年の年度末の3月になった。子どもたちはかわいかったが、4月からは心理士として働いて行くのだ。そう思っていたころだった。
そのころ私は主に中学1年生のクラスに入っていた。1年生は動詞の3単現のSを覚えないといけないときですが、その次に過去形が出てくる。それぞれの疑問文を覚える必要もあるし、命令文なんかも出てくるから子どもたちは大変だ( ゚Д゚)。ある日、授業でいつものように文法の説明をしていたときに突然、英語の文法の合理的なことと便利さに気づき、感心したことがあった。そういえばはるか昔どこかで、英語は言いたいことを文の頭に出す言語だと習った・・(例えば文頭の「Does」。これを見ただけで時制と人称とその文章が疑問文であることが一気にわかる。これは日本語にはない特徴)。これを突然思い出して、説明しながら本当にそうだとつくづく感じ入ったのだった。それで、自分が黒板に書いた字を見ながら「英語てや、なーんて便利なんだろうね~」と感嘆の声をもらしたのだった。
それを聞いた子どもたちが、文法説明時としては今までにない興味と関心で「そうか~」「どこがだよ~」と半ばブーイングだったが、食いついて来た(←表現が悪くてすみません)のだった。このとき、ああこれかと思った。私が子どもたちに教えたかったのはこれだったのかと。
短い教員生活だったが、最後の最後になって、英語で自分が教えたいことがわかった気がした。いい経験として思い出に残っている。