河合先生によると、思春期とはわけのわからない時期であり、それは、その時期に人は人間存在の非常に根源的なものに触れているからだという。そして、河合先生によると、そのような心のありようは、思春期だけでなく、中年期にもあるということです。
心理社会的な側面から見て思春期とは、性的に分化することが一つの課題と言われていますが、異性の存在が人間存在の根源的なものに、少なからず関係しているということなのでしょう。
家族関係を維持していく、仕事等の社会生活を維持していく等、現実生活を生き抜くことも、人にとって大切なことだと思われますが、上で述べたような、人間存在の根源的なものと関わりを持つことも、大切なことと、私には思われる。
さて、現在私には、心に懸っている悩み事がいくつかあり、早くこれがなくなってくれれば楽になるのに・・と思う。今週は胃が痛かったし、最近耳もぽんとする。これはストレスのせいもあるかと自分では思っている。
人の鬱状態にも、ストレスがきっかけで鬱状態になるものもあれば、ストレスがなくなったことがきっかけで、鬱状態になるものもあるといわれている。ストレスが少なすぎるのも、人の心にとってよくないように、例えばその人の成長を促すような、必要な苦労に向き合わないことは、人のこころによい影響を及ぼさないのではないかと思われる。
人の心は複雑で矛盾に満ちていて、割り切れなくて、不思議で、どうしようもなく何かにとらえられたりもある。古来人は、そのような思いを物語にしてきた。症状や悩みのあると、楽になりたい、症状をなくしたいと殆どの人が思うと思いますが、悩みから生まれる物語もある。必要な苦労については、客観視し、悩みに向きあい、ささやかながら、何かの方法でそれを人と共有する。生きるとはそういう面もあるのではないかと思われる。
ユングの患者さんで、統合失調症の老女の話があった。精神病院で長年入院していた方だったが、その方は、不可解な動作を繰り返していた。老女の死後、老女のかつての恋人が靴職人であり、老女の繰り返す不可解な動作は、靴を直す(皮を通して糸を引っ張る)動作であった、恋人が彼女を捨てたときに彼女は発病した・・それが解明されて以降、ユングは統合失調症の症状の発生の機序に関する見方を変えた。
症状は全面的に忌むべきものなのか、私はそうは思わない。ユングの患者さんの老女の場合にも、そのようにして彼女が実現しようとしていたものは何なのか、私には伝わってくる気がする。
人の心の生み出すものは、わけがわからない。大事なのは現実生活との関わりにおいて、自分がその意味がわかっていることだと私は思う。最近は、人の心は割り切れるものだという考えが、世にはばかっており、私にとっては意味がわからないときがある。自分が意味が分からない事からは目を背けた方が楽なので、そしてめんどくさがりで臆病な点から私は自分の世界に閉じこもる・・しかしそれではいけないと思うので、少しずつでも視野を広げていきたいと思っている。
※参考:河合隼雄「こころの最終講義」(新潮文庫), 「ユング自伝」(みすず書房)