私は結婚もしていないし、子どももいません。それで、親子関係の、心理相談を行っている。なぜそれがしたいかというと、私は子どもたちに、お母さんに対して、優しい気持ちが持てるようになってほしい、そう思っているからです。
さて、こんな私が、もし自分に子どもがいて、悩んだり、煮詰まったりしたら、どうするか、考えてみた。私はカウンセラーなので、「それでは、あなたに合う人のところに行って、悩みをお話されては」と言いたいところですが、皆が皆、人に話すことで、気持ちが楽になるかと言ったら、違うと思うし、人に話すと余計混乱するから嫌、という人もいるかもしれない。それ以外の方法は・・と考えたときに思いついたことを、以下に書こうと思う。
私の個性の一つが、物事の処理速度が遅いことで、例えば、学生時代などは、先生の板書をノートにうつすのと、それを理解するのが同時にできなかった。なので、授業中は必死で板書をノートにうつし、家に帰ってから、時間をかけて理解していた。
今も、面接中に、筆記で記録を取らせていただいている。クライエントの方に、先生は何故そんなに書かれるのですかと聞かれることもあり、そのような時には、人より理解が鈍いので…と正直にお伝えしている。面接記録を読み返して、後から理解しなおすことも少なくない。
フロイトの心理療法は、物事を「なんで、なんで」とつきつめていく。夢の理解も症状の理解も、原因を追究していくのがフロイト流だ。
対して、ユングが大切にするのは、レリギオ。これは、ユングがいうには、ラテン語で、慎重な配慮という意味を、本来持っていた語らしい。
夜見る夢も、現実に起こっていることも、ありのままに記述して、すぐにこうだ…と決めつけずに、よく見ておくこと。そして、時がきたら、そこに何かの解決を示唆するような思いつきがあるかもしれない…それを待てばよいのだから。
レリギオ。慎重な配慮、そのための記録
もし私が、子育てで困ったら、そして、誰かにうまく話せそうになければ、まず日々の子どものようすを観察して、ノートに書くと思う。