お盆に父に会いに

お盆は死者が束の間、あの世からこの世に戻って来る時期だと言う。仏壇に手を合わせに行くのもひとつかもしれないが、このお盆は、父との思い出の場所に、思いを馳せてみることにした。

そして、思い当たったのが、近所にあるレストランだった。そこには、子どもの頃に何度か、特別なことがあると連れて行ってもらった。外食を頻繁にする家ではなかったので、年に1度か2度行くそのレストランは、とても嬉しかった。だいたいハンバーグしか頼まなかったけど、ナイフとフォークを使って食べることが、すごいことのように思えた。スープ、サラダ・・と順番に料理を運んで来るのにも、興奮した。父がここに行くと「え~僕は・・」と、急に自分のことを「僕」と呼ぶのもおかしかった。

ある時、私はいつもと違うハンバーグを頼んだ。ホイル焼きとかそういう類の物で、新たな挑戦だった。しかし、運ばれてきたハンバーグは生焼けだった。ひとくち食べてみて異変に気付いたのだが、私はそれが店の焼き損じなのか、それとも元々そういうものなのか、わからなかった(わかったけど、どう表現していいのかがわからなかった)。それで、変な顔をして、ハンバーグをよけた。それを見た父が、とたんに不機嫌になった。こうして連れて来てやっているのに、喜ばないとは何事だというわけです。しかし、気持ち悪くて食べれない。傍で見ていた母は、妙な顔をして眺めているだけだった。

生焼けだ、こんなん食えるか!元気のいい、屈託のない子どもだったら、こう叫ぶに違いない。しかし私はその真逆だった。今考えるとあのとき、話を聴いてくれていたらと思う。そして、最後には、こういうこともある、大丈夫だと、ひとこと言ってもらえたら、どんなにかよかったかと思う。私は、この時に限らず、一事が万事こうして育った。

父に私に対する愛情がなかったとは思わない。ただ、関わり方がわからなかっただけだとは思う。

こんなことを考えていたら、父が亡くなったときのことを思い出した。父が亡くなる2時間前、私は病室で父と2人きりで話をさせてもらった。その時には既に、父には意識はなかった。気道に呼吸器の管が差し込まれていた。心拍はとんでもない高い値を示していた。意識がなくても、最後まで耳は聞こえています、看護師さんはそう言った。その時、私が伝えたいことを父に言い終えた直後に、父は咳き込み、2度目の大量の血を吐いた。それは呼吸器の管伝いにあふれ出て、病室の床にも転々と落ちた。

その父の様子、意識もない、喋ることもできない、ただ真っ赤な血を流して、父は自分のアフェクションを示したのかもしれない。こじつけかもしれないが、今回その様子を思い出したら、そう思った。

これが今年のお盆、父を思い出して感じたことだった。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。