作家の村上春樹さんがDJをつとめておられるラジオ番組、「村上ラジオ」の先日の放送では、村上さんが「夢」について語られた。夜寝ている間に見る夢のことです。
意外だったのは、村上さんがご自身が見た夢について語られたことだった。まずは、街にイノシシが出てきて、身を潜めた話、あとはジャングルの中にて、ワニに追っかけられる夢。バクと喰われそうになって、布団から飛び出て目が覚めたとな。その後は、水族館でワニを見ている話、最後はカニが深海でぶくぶくやっている、それを虐げられているプロレタリアートと関連づけて語っている話・・・
ちなみに上記は、村上さんのラジオでの語りを、村上さんが見た夢と、村上さんに起こった現実のできごとを、当日語られた中の一部だけ切り取って、その中の順番に添って、私が再構成した語り。ほんとうのことが知りたい方は、ご自分でラジオの再放送を聴いてください(またはネット上の村上ラジオのサイトに逐語が掲載されています)
さて、先日の放送の中で村上さんが「なんで僕は夢を見ないんだろう」とおっしゃっていた。確かにどこかで、河合先生との対談で、「そりゃ村上さんは夢見ないでしょうね」というようなことを河合先生に言われたと、書いてあった記憶がありますが、実際は村上さん夢見ていたんじゃんね・・。そこで今日は、村上さんが夢を殆ど見ないと言った場合、なぜなのか私なりに考えたことを書こうと思う。
他に村上さんは先日の放送の中で、「僕は嫉妬ってわからなかった」 「夢でしか感じたことがなかった」と、おっしゃっていましたが、村上さんが夢を見ないのは、村上さんが物語の中で書いていることのひとつが、嫉妬についてだからなのではないかと、私は思いました。
嫉妬とは、例えばエディプスコンプレックス、これはフロイトの説で、ギリシャ神話に基づいているものですが、男の子の場合で言うと、父を殺し母を手に入れたいという願望とそれに伴う恐怖や罪悪感のことで、発達途上でそれを乗り越えないといけない。あれは人間の嫉妬から発生した物語…という見方もできはしないだろうか。本来手に入らない対象に対する思慕。これは人の倫に乗せて行かんといかん。村上さんがどこかでそう感じて、小説を書いているからではないかと私は推測しました。村上さんだけでなくて、昔から人類はそうして生きてきたのではないでしょうか。
あとはこれは、ラジオでなく、村上さんの小説(海辺のカフカ)に出てきた、生霊(いきりょう)の話。執着したり呪ったり、物語における生霊は悪しき場合にしか出てこないという話がありました。悪しき霊に例えられるようなものは、私の中にも村上さんの中にもあるのだと思います。それを人の倫に乗せたら、よいものになるのでしょう。村上さんは小説を書くことで、悪しき霊をよいものに変えているともいえそうに私には思える。
大切なのは人の倫に即して生きることで、夢を見るかは、それほど重要でないのかもしれないと思う。でもどっちなのだろう?夢を見ないから村上さんが小説を書くのか、小説を書くから夢を見ないのか。
私は最近、ある件に関して、ひとつだけはっきりとした示唆的な夢を見て、それ以降は一切それに関する夢を見なかった。その分現実で苦しんだことがありました。やはり夢任せにできないことについては人間、現実で苦しむことになっているんだなと、今は思います。
それにしても夢とはいったい、どこから出てくるんだろう?