ユング自伝によるとユングが12歳のとき下校途中に同級生に突き飛ばされて地面で頭を打ち、殆ど意識を失いかけた。その後、学校の帰り道、または両親が宿題をさせようとすると「発作」が起こるようになる。その発作がどのようなものだったのか詳細は書かれていない。それで半年ほど学校を休んで森で自分の世界に浸ったりしていたのだが、ある日ユングは「自分が自分から逃げている」と気づく。そしてこれもまたある日、父親が父親の友人と話をしているのを好奇心からこっそりきく。そこで父親は「自分はなけなしのものを全部失ってしまった」「息子が自分で生計を立てることができないなら、あいつは一体どうなってしまうのか」と言っているのをきいて仰天する。直後ユングは父親の書斎に入り、ラテン語の文法を詰め込み始める。はじめはすぐに発作が起き、それでも「こん畜生、発作なんて起こすもんか」と独り言をいいながら勉強を続け、次の発作が起きるまでは15分・・これを繰り返し徐々に発作と発作の間の時間は長くなりついには消失する。その後同じ時期にユングは自分との出会いの体験をする。そこにはその時の様子が次のように記載されている・・・。
『その時ふいに、ほんの一瞬だったが、私は濃い雲から出てきたばかりだという抗しがたい強い印象を受けた。私にはすぐにすべてのことがわかった。今や、私は私自身なのだ!それまでは、まるでもやの壁が私の背後にあるようだった。そしてその壁の後には、まだ「私」はなかった。けれどもこの瞬間、私は自身にでくわしたのである。以前、私は存在はしていたけれども、すべてはたまたま私に起こっただけだったのである。それが、今や私は、私自身に出くわした。今や私は、私が今自分自身であり、今、私は存在しているのだということを知った。以前は、これやあれやをするよう命じられていたのだったが、今や私は、自分の意志を働かせるようになったのである。この経験は、私にはおそろしく重要でしかも新しく思われた。つまり、私の中に「権威者」がいたのである』
(『 』内ユング自伝p56-57から引用)
ユングの場合は思春期にこうだった。他にも自分との出会いの場面が小説等に描かれているのを目にすることがある。そこでは主人公は29歳だったり38歳だったりする。そのような小説を読めばそのような体験を知ることができるし、人はそれを読むことで、多かれ少なかれ自分の体験と重ね合わせることができる。
共通して感じるのは自分との出会いを果たすために人は一度孤独になる必要があるように思える。この時にその人の内的な状況に合わせて外的な人間関係・状況も布置されるというのはひとつの見方である。
参考:みすず書房 ユング自伝