必要なものは全てそこにあった

新卒で入った会社は、大きな会社で、本社には大きなオフィスビルや実験棟などが複数立ち並んでおり、そこには当時1万人の人が勤めていた。その中で私は人材育成のための部署に配属になった。その部署は人事に吸収されたり、国際部門とひっついたりして名前を変えたが、私はその会社を退職するまでの10年間ずっと、同じセクションでほぼ同じ仕事をして働き続けた。上司は3年ごとくらいで異動があるが、私は同じところに居続けた結果、そして、2つの係の仕事をしていた関係で、在籍していた10年間で、複数の上司に仕事でお世話になった。今日はその中で特に世話になったと感じるAさんのことを書こうと思う。

Aさんは最後の2年ほどの間にお世話になった方で、私より4歳上の係長だった。人当たりがよく、仕事もきちんとされる方で、頭もよい方だった。課長に対しても割と、言いたいことを嫌味なく伝えておられる感じであった。家庭のことを話されるようすからは、愛妻家(恐妻家?)であるようすがうかがえた。

Aさんにお世話になったこの時期、私はこの先何をしたらいいのか、この会社でどう働いたらいいのか、どうキャリアを積むのか、プライベートとのバランスはどうするのか・・。自信のない時期だった。自分のことしか頭になく、仕事ではいつもとんがっていたし、上司であったAさんにはご心配をおかけしたのではないかと思う。

さて、その会社には、年に2度、目標設定面談とフォローアップ面談というのものがあり、半期ごとに仕事の目標を立てて上司と擦り合わせをし、その結果をまた上司と話し合って、次期の目標を立てる・・そういう制度があった。その目標設定面談をAさんとやったのか、それとも別の何かのタイミングだったのか、記憶が定かではないが、一度、Aさんと話をしたときのことが印象に残っている。

それは、会社内に設けられた休憩スペースでのことでした。そこには自販機や机と椅子が置いてあって、私は仕事の合間によくそこに行って、窓から会社の敷地内にある桜の木を眺めていました。休憩スペースの横には、ガラスで仕切られた小さな部屋があり、そこは喫煙のためのスペースで、職服姿の男性社員の方々が煙草に赤い火をつけていたものでした(一度そこで同じ会社で働いていた父を見かけたこともあった)。その日も、休憩スペースの方の窓から外を眺めていた。するとAさんが近づいてきて、話しかけてくれた。加藤さんの仕事について、僕は考えてみたんだという。紙にメモで何かいろいろ書いてくださっていたものを見せてくれたと記憶している。

詳細は覚えていないが、それは、私目線で書かれた内容だった(会社は組織を上下で考えたときに上から下に向かって仕事の目標が順に降りてくるので、どうしても上司からメンバーへの仕事の振り方は会社目線になってしまうのが当然の中・・)。そして「考えてみれば、加藤さんの目線で仕事について考えたことって、なかったなと思って・・」とおっしゃった。しかも、こんな見方があるんだねと新たな発見をしたというような喜びの面持ちで話しかけてくれたのだった。その時には、結局私がとんがっていたので受け入れる余裕がなく、このようなAさんとの話しあいもあまり実を結ぶことはなかったのですが、今考えても、ありがたい経験をしたのだと思う。

・・今その会社を退職して15年が経つが、恵まれた環境に身を置いていたのだなと思う。かなり量の多い資料をコツコツ作成する仕事にも携わっていたが、みかねて必ず隣の同僚が声をかけて手伝ってくれたし、Aさんのように、私の立場に立ってくれる上司もいた。何より、コツコツ進められるような、価値ある、私の身を投げうつに値する、喜ぶべき仕事がそこにあった。必要なものは全て、あの会社にあった。しかし、それに気づくには、この15年が必要だった。

Aさんはおそらく今もその会社で働いているはずだ。私が退職した2年後くらいにAさんは、人材育成部門から他に異動されたようだ。その際に、当時の部員から頼まれて(送別会等で送られる退職した元同僚からのメッセージ的な・・)、メッセージを送ることができた。そこで世話になったお礼と、上記のようなことも少し伝えられたと記憶している。それがよかったかなと思う。

この記事を書いた人

アバター

加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。