影踏み

ユング心理学で「影」という概念がある。これは、その人がそれまで生きてこなかった、心理社会的な側面のことを言う。例えば、攻撃的に生きてこなかった人は、自分の中の攻撃的な側面を無意識下に抑圧し、したがって、意識面では自分では、自分の中にこのようなものがあるとは認識できない。何故なら、無意識にあるものはどこまでも無意識なので、自分の中にあっても意識的にはそれがあるとわからない。

このように、「影」は無意識下に存在するため、他人に投影される形で、出会うことになる。なにかイライラする相手、なにか苦手に感じる相手、目を背けたいのに、視界に入って来る相手・・。このような人が周囲にいたら、自分の影について考えるときが来ている場合がある。ユング派の心理療法では、まずこの無意識下にある「影」との対決が課題となる。(ちなみに、影の課題に取り組んだ後で、人はアニマ・アニムスの課題に取り組むのが、順番だと、河合先生はユング心理学入門の中で言っている)

河合隼雄先生の著書に、「影の現象学」という本があって、これは上で述べた「影」という概念について、いろんな切り口から著された本ですが、そこでは、「影」についてイメージしやすいような、何枚かの絵画や、物語が紹介されている。また、河合先生の著書、「コンプレックス」の中では、私たちの自我と無意識を含んだ、心の全体が直観できるような図が、紹介されている。

これらから「影」が、個人的無意識から普遍的無意識に及ぶまで(ユングは人間の心に無意識領域があることを仮説とし、さらに無意識には、個人的な無意識と、万人に共通するような普遍的無意識の層があるという仮説を立て、人のこころにつき論じた)、その影響を広く深く浸透させていることがうかがえる。また、影の課題は、個人にとって根深く、暗く、底が知れないことが察せられる。…こうして書いてみると、恐ろしくも感じる…。一方で、暗いとは言え影の課題は、その深さと広さ故、万人に通じるものでもあり、その普遍性の中には、ネガティブな面と同時にポジティブな面も持つと考えられる。他人の中にあると思った嫌な部分を、自分の中にみつけたとき、その人の人生がひとつの展開を迎える、そのような場合もあるように私には感じられる。

大切なのは、他人の中に見える嫌な部分にばかり気を取られているのではなく、視野を深め、視野を広げ、いったい自分がここに巻き込まれているのは、どういうことなのか。主体的に考えて行動することかと思う。自分の影を背負って現れた他人、その人に一喜一憂し、エネルギーを消耗するよりも、自分とその人の関係について、心理社会的に考え、見方を拡げると、そこにアイロニックながらも温かな、何かしらの感情が湧くことを禁じ得ない・・そのような場合もある。

さて、世の中には影踏みばかりしているような人もいるように思える。すなわち、他人の中にある嫌な部分(と本人は思っている事柄)に、てんてこまいばかりさせられているような人の事です。かくいう私もまったく例外ではないし、私の場合大半はそれです。しかし、この世に生まれたからには、影踏みばかりしていないで、他人の中にある嫌な部分、と思っていたことを自分の中に見出し、そこにポジティブな面を見定め、自分の責任に落とし込み人生に生かすことが必要と思われる。 

この記事を書いた人

アバター

加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。