あれは師匠が病に倒れる3か月ほど前のことであった。いつもどおり指導におうかがいする道すがら、師匠からメールが入った。道が混んでいて少し到着が遅れるので(朝一の予約だったので、師匠の出勤と同時だった)、待っていてくださいと。先生が来ないと相談室の鍵は開かない。そこで、相談室から少し離れた駐車場にとめた車の中で待つことにした。その間に、かねてから読まねばならぬと思っていた、しかし、開くのが気が進まなかった本を読むことにした。読み始めると、思いのほか、面白いことも書いてある・・。
・・と、夢中になって読んでいると、いつの間にか約束の開始時間から40分が経過していた。すぐに相談室に向かった。何と言って言い訳しようか、本を読んでいていつの間にか時間が経っていました、などという馬鹿みたいな言い訳は、恥ずかしいからしたくない。先生はだいたいにおいて、自然に、豊かに、感情を表出される。先生の顔を見る前に、こんな失敗をしてしまう自分が我ながら情けなく、みじめな気持ちになってきた・・。
結局そのまま理由とわびを伝えると、先生は、珍しいものを見る表情でこちらを見られただけで、黙って次の予約の方に電話をかけて、その方の開始時間を遅らせてくださった。そしてその日は普通に面接が始まり、いつも通りの指導を受けて終了した。
さて、その日の夜は、定例の研究会でも師匠にお目にかかる日であった。その日はどなたかが、子どもの事例について発表されて、それについてメンバーで意見交換していた、その時であった。師匠がふいに「僕は何かに没頭して時間忘れて遅れて来ちゃうような子には『よくやった!』と声をかけるんです」(というような表現だったと私の中では記憶している)とおっしゃった。その時に、もしやこれは、一部私のことも含んで言っているのでは・・と感じた次第です。
10年以上指導していただいて、師匠にほめられた(←?)ことは、このときくらいしか思い浮かばない。しかし、ほめられたのでないにしても、あの日、遅れて行ったときに師匠が、なんら嫌な顔ひとつしなかったおかげで、今も私は、休みの日などに、罪悪感を持つことなしにこころゆくまで好きな本を読めるのは、ありがたい。