女性の自己実現について書かれた物語として、グリム童話の「つぐみ姫の王様」、「いばら姫」、「かえるの王様」、他に「アモールとプシケー」が、河合隼雄先生著の「ユング心理学入門」の中で紹介されている。これらは、主人公の女性が苦難の末に幸せな結婚をする物語です。これらの物語について、河合先生は「女性の自己実現の問題(したがってアニムス)について示唆するところが大きいものである」と述べている。アニムスとは女性の無意識に存在する男性像のことで、女性はこの心の中の異性イメージに導かれ成長を遂げる。男性の場合には、無意識に存在する異性像をアニマと呼ぶ。
男女を問わず、異性と接して、惹きつけられたり、反発したり。ときにはコントロールを失いそうで恐怖を覚えたり。そのような経験をされたことがあるか方は少なくないのではないでしょうか。ユングの「転移の心理学」には、それらは自分の無意識が投影されて作り出されたものであり、したがって私たちは投影された無意識内容と内的に対決すること、すなわち主観的に体験すること。これが必要なことだと書かれている。例えば人間関係で気に入らないことがあった場合に、相手を攻撃するだけでは自分の成長はのぞめない。それよりは、無意識にあるがゆえ自分では自覚できず相手に投影された内容と内的に対決、すなわち主観的に体験する努力をしたほうがいいということです。
では、アニムス(男性の場合にはアニマ)を主観的に体験する努力・・これはどういうことなのでしょうか。例えば、小説家が小説の中で異性を描くことや、カウンセリングで異性についてのお話をすることもこれに該当するかと思われる。あるカウンセラーは異性に関する心理学をライフワークにしていましたが、それもそれに該当するでしょう。
とはいえ、自分の無意識領域のことゆえ、想像もつかず、まったく見えないはずで、全くわからないことに関して主観的に体験しようと試みるわけで、ぜんぜん楽ではないはず。自分の無意識を現実の相手に投影して、不平不満を言うほうが楽だしわかりやすい。なのになぜその人たちが「アニムス(アニマ)を主観的に体験する努力」をするのかといったら、その方たちが自分に対する責任と勇気を持ち合わせているからだと思われる。
このように、アニムス・アニマの観点から個性化・自己実現を見た時、それは童話に出てくるような、一人の人間が一人の相手と結婚するまでの、直線的なプロセスのことではない。転移(自分の無意識領域が他人に投影され過去の重要な人物、多くは両親との関係が、相手との間で再現されること)はひとりの人間の人生で繰り返し起こることであり、そのたび自分の個性をより明確にしていくことが必要とユングは言う。一方でユングは内的に個性化を為すだけが必要だと言っているわけでなく、現実世界で他者との関係を持つ客観的過程も同じ程度に大事と言っている。
さて、人生においては少し先のことでも確かなことはなく、思い通りになると保証されていることも何一つない、自分自身のこころでさえも・・私にはそのように感じられるときがある。そのときには、ものごとの99パーセントくらいが闇に覆われて見える。しかし私にとっては、そういうときにかえって、自分の中にも確かで思い通りになるものがある・・そういうものが感じられることも事実なのです。今日のところはこれを希望と呼びたい。