(内容はバリ・スピリット①の続きです)
次の日運転手のワイアンさんに闘鶏会場へ連れて行ってもらった。闘鶏会場は日本の相撲の土俵のような作りになっていて、周囲に何本か支柱が立っていて、天井に布が貼ってある。どうやら女性立ち入り禁止だったようだ。私も少し離れたところから見た。ジュース売りの女性以外には誰も女性はいなかった。
闘鶏会場
闘鶏は長い儀式的なものの後に行われる。まずは2匹のニワトリが舞台に上げられ、観客がどっちに賭けるのか決めるのだが、その前に長い時間舞台の上で何かやっている。まずは観客のうち代表2人が舞台に出て行って、ニワトリの品定めのようなことをする。それを周囲の観客は見守っている。そしてそのうち周囲の観客たちも舞台に降りて行って、あれこれ言いながらニワトリの品定めをする。お金をかけるやり方は、それぞれが「僕はこっちいくらだ」と宣言する。そのとき「サヤサヤ・・」という掛け声がはじまり、会場がその声でひとつになる。しばらくの静寂の後ニワトリが戦い、勝負が決まったら、観客同士周囲の人とお金をやり取りする。儀式をしきる人はターバンと腰布のようなもので正装していて、何人が舞台上にいるが、お金のやり取りをするのに仕切っている人はいない。皆自分たちでどちらのニワトリにいくら賭けるか宣言して観客同士で互いにお金の交換をしているが、終わった時にはなぜか場が収まっている。不思議だ。後でホテルのスタッフにきいたところによると、だいたい賭けるお金は、日本円で90円くらい。現地の人に言わせてもそれほどの大金ではないとのことだった。
闘鶏会場
途中、闘鶏会場で突風が吹いたときの人々の恐れようが印象的だった。日本だったら風の強い日にビル間で吹くような強めの突風だった。闘鶏に集中していた人々が、男たちが、「おおおー」という神を畏れるような声をあげて、一瞬ちりぢりになった。ガイドのワイアンさんはすっかり群衆の1人になってしまっていた。混乱が収まってから傍にいたおじさんに「なぜあんなに風が吹いたのを恐れるのか」ときくと「何故そんな当たり前のことをきくか。ヤシの木がすぐ折れて頭に当たるからだ」と言ったが、それだけでは説明がつかない、あの驚きようはなんだったのか。例えは悪いが、滞在初日昼食に、ウブドの街中で入ったオープンなカフェで、トイレに行って帰ってきたら私の食べ物に幅5センチくらいの黒い帯状のものが・・と思って目を凝らしたらそれは蟻の大群だったのだが、それにフーっと息を吹きかけたときの、蟻が四方八方に混乱して逃げ惑う様を思わせる、あのカオスだ。
ワイアンさんは私とおない年くらいの男性で、ウブドの近くのマツ村というところに住んでいて、普段は木彫りをしている方だ。「何を彫っている」ときくと「樫の木でしょう、松の木でしょう・・」と5種類くらいの木の種
類を答えてくれた。こうして時々ドライバーとして働いてもいる。ワイアンという名前はインドネシアで広く長男につけられる名前のようだ。日本で言う太郎のようなものだろう。
ワイアンさん
その日の夜もひとりでダンス見学にでかけたが、まっすぐ帰りホテルで食事をした。食前酒で出てきた「バリ・スピリット」というお酒を飲んだ。次の日に街中でマツ村で彫られた仏像をお土産に買った。
バリ・スピリット
帰りの飛行機に乗るため、空港までは1時間くらいかかるが、ホテルが手配した車で送ってもらった。運転手の青年はコマンさんといって、打ち解けると良くお話になった。「僕の名前は三男につく名前だ」とおっしゃっていた。ウブドから30分くらいの村に住んでいて、お父さんは米農家をしておられるらしい。コマンさんはちょっといい会社で働いているらしく、ワイアンさんの車代について「安いね」とおっしゃった。今度バリに行ったときには私をオートバイの後ろに乗せて観光してくれるとのことだった。(そのように観光されている方はときどきみかけた)
ウブド街中
空港までの道すがら、「これはシルバークラフトを作る村」「これは石彫刻の街」とガイドもソツがなかった。コマンさんに教えてもらって、ウブドが絵画の村だったことを知った。知らなかった。「でも闘鶏は絵画と同じくらい楽しかったよ」と言ったら腹の底からおかしそうに笑った。ホテルのスタッフとも話をしていて何度か腹を抱えて笑った。笑いのツボがバリの若者とは共有できる気がする。
バリの人たちは皆フレンドリーで、そしてだいたいにおいてサービスが過剰だった。そのせいもあって、旅行中は食べすぎで吐くのではないかと思っていたが、それはなかった。しかし日本に帰って来てからナイフを持った小学生くらいの男の子に追いかけられ目を覚ます、と言う夢を何度も見た。そしてある晩、本当に、目を覚ました。それからはその夢は二度と見なくなった。
ウブド・モンキーフォレスト内石像