キレ芸と呼ばれるものがある。会話の最中に突然キレて、笑いをとるものです。私は、ある芸人さんのキレ芸を見るとこころがざわざわする。ざわざわに気を取られて笑うことができない。その芸人さんが先日テレビに出演していた。
さて、先日「吾輩は猫である」を読み終わった。最後の11章は、それまでの10章で感じた娯楽を感じさせる色彩と異なった、暗い内容が含まれていた。漱石の皮肉な側面の表れであろうか、例えば、未来には人間の死に方はこうなる・・とか、個性中心の世が発展したら社会はどうなるか・・とか、未来の結婚について・・・とか。その中にちょうど、芸について書かれた部分があった。そこで言われていたのは、「芸術が繁盛するのは芸術家と享受者の間に個性の一致があるからだ」ということだった。
・・個性の一致とは何だろう。うわべの一致を探せばいくらでも見つかるかもしれない。「吾輩は猫である」の中に出てきた、登場人物たちには、それぞれの個性はあるものの、共通に底に横たわるのは悲しみだと書かれていた。例えばカンニングの竹山さんのキレ芸には笑えるのに、あの芸人さんのキレ芸に笑えないのはなんでだろう・・・
笑いとは対象のことが客観視ができて成り立つものだと思う。例えば自分に取って辛いことも、距離を取って客観視することで笑いに変えられることがある。あの芸人さんのキレ芸を見るとこころがざわざわして笑えないのは、私が自分の中にある何かを客観視できていないからかもしれない。