この連休中に別所温泉に行ってきた。長野県の祖母が住んでいた場所と近い温泉です。
温泉宿は小さなところでしたが、お湯は気持ちがよかった。晩御飯のときにお世話になった従業員の女性に「ここのお湯もいいですけど、外湯に行って比べてみると違いがわかりますよ」と言われたので、次の日に外湯にでかけた。別所温泉には外湯がいくつかあって、そのうちの3か所に入りに行った。
外湯は、地元の人と観光客が一緒に入るような小さなお風呂で、150円で入れる共同浴場です。こういうのが街中にいくつかあるわけです。「大師湯」という外湯では、90歳くらいの地元のおばあさんが入りに来ていて「毎日今日が最後かと思って来る」と言っていた。坂の上のほうにあるので、たどり着くだけで大変だそうです。
「石湯」は真田幸村の隠し湯ということです。ここは少し浸かっているだけで、汗がかなり出て来る。そこで若い女性が身体をあらっているときに、地元の70歳くらいの女性が背中を流してあげると声をかけて、その若い女性の背中をごしごししてあげていた。そして最後にお湯で流しながら「いい背中だこと」と声をかけていた(地元特有のことばで)。10年以上前のことになりますが、私の祖母も同じように、一緒に行った温泉で、私の背中を流してくれ、同じ言葉をかけてくれたことがあった。なので今回これを見て、これはこのあたりの風習なのかと思った(が偶然の一致に過ぎないかもしれない)。
さて、外湯に行ったらいいと勧めてくれた旅館の従業員の方は、地元から通っている女性だとおっしゃっていたが、歳は80歳くらいと思う。階段の昇り降りをするときに膝がつらそうだった。その方が、夕食時の部屋の窓の外に、紫色のテッセンの花が2輪見えたのですが、それを目にすると、「まあ、せいせいしますね」と声をはずませた。それを見たときにも祖母のことを思いだした。祖母は普段は表情が硬く不愛想だったが、「せいせいする」という言葉を使うとき、表情が和らいだ。
今回の旅行中に限らずこれまで私は、祖母のことをいろいろ考えてきた。具体的には、私たちに接するときの様子を思い出したり、母から祖母の様子を聴いたり、曾祖父の代から現在までの家系図を手に入れ、親戚にどんな人がいたのか(職業やキャラクター)調べたり、自分が見る夢のようすと照らしたりした。私は自分のことが嫌になり、自分を持て余すことが多いので、それを人のせいにせずに自分の責任で生きて行くには、そうせざるを得なかった。祖母には欠けているものがいくつかあった。それが何なのか、少しはわかった。そして、私の中にもそれらが受け継がれて存在していると思っている。だからこそ私は、少しでも自分の人生を面白くしたいと思う。
別所温泉で見たおだまきの花